最終日(24日)の一部を書きますね。
朝から出かけて、予定は逗子と茅ヶ崎です。
茅ヶ崎に行くのは、突然前日に決まりました。
逗子には91−97年に働いていた会社のアトリエYOYOの愛さんが建てた建物があります。
息子は今まで海を観たことがないので、海を見せてあげようと思いました。なので、逗子なのです。海でのエピソードはまた今度にします。
逗子のYOYOは、現在はイベント時にイベント参加する人だけは入れるけれど、それ以外の開館日はないということでした。不法侵入になるとマズイので、周囲から少し見るだけです。
円と楕円だけで構成された建物。子供にとっても小さいうちに見せておきたかったのです。
『パパはここでずっと前に働いていたんだよ』『地球にとって重要な場所だから、この建物がちゃんと建てられるように、と、いろいろと頑張っていたんだよ』ということを逗子駅に戻る道で話していました。
帰りの電車は大宮まで、一緒に帰る人がいました。
彼女はYOYOで以前働いていた人で、僕とは同じ時期に働いたことはないんですが。
YOYOでの話しなんかをしていて、
波動の法則が出る以前のことです。
大体僕は、愛さん(社長)に言われたことは気乗りしないとやらない酷いスタッフだったのですが、思いついたことは勝手に進めてしまいます。
逗子の愛さんの自宅がオフィスとして、お店は品川区にあります。品川の区のきゅりあんという会場を勝手に予約して、『愛さん、足立さんにさあ、講演会やってよって電話してよ〜』なんていいます。
『まったく翔太は勝手なことばかりでしょうがないわねえ』と言いながら電話してくれます。愛さんが足立さんにその通りですが『〜足立先生、翔太が本当に勝手に、会場の予約とかしてしまって、何月何日なんですけれど講演会をして欲しいって言うんです。』と伝えてくれます。
どうもその日そこでお話をする必要があるということで、決定してしまいます。
そんな無茶苦茶な楽しい日々の思い出をその人に話していると『あ、それ私が居た頃にYOYOのスタッフ間で伝説になってますよ』って、言われて、伝説…無茶苦茶でしたからね、今もそうなんですけれど。
波動の法則が出てから、足立さんも忙しく、形態研周囲の状況が変わったのだと思います。そんな力技というか、出来ないことみたいなのですけれど。
後から聞いた話ですと、『足立さんに講演をして欲しいという依頼のなかで、30件くらいにひとつくらいしか実現できない』ということでした。
なんかラッキーでしたね。
今回、逗子の建物には入れませんでしたけど、息子に逗子YOYOを見せてあげたくて、外から少し見ました。もう10年ぶりくらいにです。
過去のことがいろいろと思い出されました。
93年暮れに建物が出来ました。それから1年半くらい住んでいました。住んでいたというか、都内から通うのは大変で、意外とやることが多かったので、愛さんが住んじゃいなさいって言うので。今から考えると貴重なことでした。
あの建物はいろんな意味で僕にとっては大切で思い出がたくさんある場所なんです。
波動の法則の本もない時代、建設中に足立さんが『まだ建設中ですけど、調和のとれた中性子と陽子が半径10キロ(もう少しか)くらいまで広がって、宇宙から見ると光って見えるんですよ』なんて言ってました。『だからUFOがその光のところに来て、そこから他のところに行くんです(きっと他にもそういう場所はあるのだろうけど)』なんて言ってました。
今は、いろいろなところに足立さんの設計建物などがありますけど、逗子の建物が最初の足立さんの情報だけで設計されたところでした。
当時(今は知りませんが)YOYOはかなり赤字で、毎月愛さんが補填していました。愛さんがああいう建物を作りたいという、それを微力ながらなんとかできるようにするために、当時はYOYOの会社を潰さないように、なんとか赤字を黒字にしないといけないなと頑張っていました。
大変でしたが、楽しかった日々です。
そうそう、迷惑になってしまうかと思うので、勝手に逗子のYOYOには行かないほうがいいかと思います。
よろしくお願いしますね。
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