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2012年11月

 

 

 

 

2012/11/23(金)

■ 勤労感謝の日


 勤労感謝の日。勤労している人に対して感謝?勤労できること(身体が動いたり、勤労できる場所があったりと)に対して感謝?どちらでもいいのかな。

 

2012/11/20(火)

■ NHK〜宝石心(谷村新司&一青窈)


宝石心
作詞作曲 谷村新司 編曲 式部聡志

忘れないでね この日の事を
君がいくつになっても
目をふさいでも心に残る 宝石を君にあげる

忘れないよね 出逢えたんだよ
こんなに広い世界で
誰も消せない想い出になる 宝石を君にあげる

また逢えるその時まで 心閉ざさないで
また逢えるその時まで 僕を忘れないで

光の中手を伸ばせば 必ず僕がいるから

(中略)

忘れないでね 忘れないよね
そして伝えていこうね
君の子供や僕の子供に
夢の宝石の意味を……

忘れないでね 忘れないよね
そして伝えていこうね
君の子供や僕の子供に
夢の宝石の意味を……
夢の宝石の意味を……

 

 NHKの歌番組(ほぼ演歌か)の中で、谷村新司と一青窈が10年越しの『宝石心』を歌いました。つい最近まで知らなかったのですが、日中国交回復30周年のときの歌のようで、10年後の今、初めてレコーディングされてCDになった歌。このタイミング…本当は日中国交回復40周年なんだよね。
 一青窈、今まであまり知らない人だったんだけど、先日のコンサートで『ハナミズキ』という素敵な歌を歌ってました。…その10年前のイベントで日中の歌い手がみんなで宝石心を歌うためのガイドボーカル(日本語・中国語の出来る女性)として無名時代の一青窈に白羽の矢が立ったということでした。政治的なことはともかく、とてもいい歌ですね。『君の子供や僕の子供に夢の宝石の意味を』ってフレーズがいいなあ。こういうのがわかる人だといいよね。
 番組ではその後、岩崎宏美も出ていたので、やはり先日のアルバムに入っていた『ラストローズ(谷村新司とのデュエット)』を歌うのか?と思ったけど違った、さだまさしが作った歌を一人で歌ってました。そりゃそうだよね、でも期待してしまった。
 月曜日に放送しているプライスレスにも夏木マリが出ている。この人も新アルバムで谷村新司と歌っている。夏木マリを意識してみたのは初めてなんだけどね。

 

2012/11/20(火)

■ PRICELESS〜ウルトラマンは現代日本を救えるか


 PRICELESSという、ドラマを先週から観ています。あまりね、ドラマなんて観ないのですが、先週偶然放送をチャンネルがついていたから、ついつい最後まで観てしまって、面白いので今週はしっかり観てしまった。
 初回から観ているわけじゃないからわからないところもありますが、藤木直人と母親違いの兄弟(本人知らず)のキムタクが主役。先代から『お前は社長の器じゃない、次期社長にはキムタクを』という遺言がありながら、自分の会社で働いていたキムタクをリストラ。そんでアパートの部屋を三人でシェアしながら、取引先の工場の窮地を救ったり(4話)、屋台でホットドッグ屋を始めたり、なんだか気持ちがいいドラマ。藤木直人は悪役なんだけどね。こんな時代に合っているドラマだなあと思いました。
  キムタクに興味なかったけど、この人いいじゃんと(役柄だけどね)思いながらです。

  ウルトラマンは現代日本を救えるかという本を読みました。というかまだ途中なんだけど。この本は北海道で中学教師をやっている神谷さんという方の本です。ウルトラファンなら大体知っていることがほとんどなんですが、ウルトラマン不在の時代というのは、日本の経済などが安定(安定じゃないんだけど)している時期だったりする…本当は安定じゃないんだけど、多くの人が消費や娯楽・快楽におぼれている時代には受け入れられないのがウルトラシリーズなのかも知れない…。
 大雑把に、70年代後半、80年代〜90年代前半、これはバブル期です。こういうときは『世の中オカシイよね、なんとかしたいよね』という気持ちがあまりなくなってしまうみたいで、ウルトラシリーズの製作が成立しにくい(放送しても誰も見ない)環境みたいです。
 確かに、初期シリーズ(Q〜ウルトラセブン)はまだまだ戦後がやっと終わったような時代。ベトナム戦争などへのアンチテーゼなどが作品に盛り込まれる。70年代前半(帰ってきた〜レオ)もオイルショックや経済成長への翳りが感じる時代でした。79−80年(ザ・ウルトラマン〜80)は放送されましたがあまり人々の記憶にないウルトラだったでしょう。それ以降海外作品や単発などはありましたが、長いウルトラの冬(バブル期)が到来していました。

 満を期して…平成ウルトラの再興がウルトラマンティガでした。バブル崩壊、関西の地震、オウム事件など混沌とした時代でした。そんな時代・世相にウルトラは求められるのかもしれない。21世紀に入って最初のウルトラマンはコスモス。怪獣保護を基本としたフォーマットでスタート。直後に同時多発テロがあり、都市破壊などの映像表現が抑えられつつ、アメリカの対テロ戦争に対し、出来るだけ戦わないというスタンスで走り切ったコスモス。

 こんなふうに考えていくと、ウルトラだけではありませんが、その時代の背景を映しているのが映画やドラマなんですね。

  PRICELESSもこんな時代だから、共感を呼ぶドラマなんだと思います。バブルのときだったら誰も見向きしないドラマだったかも知れない。

今朝の室温7℃。放射線は0.22-0.32マイクロ。

 

 

2012/11/19(月)

■ 


 先週くらいから少し冷え込んできましたね。
 先ほども…そして、実は先週の金曜日にも『やっぱり人間ってちゃんと話すとわかるんだな』と、うれしい気持ちになることがありました。当然、断られると思って(そのほうが気楽だし)話してみると、『そのくらいなら全然大丈夫ですよ、手伝わせてください』という返事を頂いてしまって、なんだか反対に拍子抜けしてしまいます。
  これからその準備もあって、出てきます。やはり…細かいことはアレコレと書けませんが、教育現場(学校ではなくて)に関わっている人はオープンな人が多いのかも知れない。他の仕事が違うとか、そういう話しじゃなくてですよ…。たまたま、そういう似たような場所だったから、そう思っただけです。

 今朝の室温10℃。放射線は0.21-0.37マイクロ。

 

 

2012/11/17(土)

■ 


 今朝の室温10℃。布団の中が暖かくて出たくないという室温が10℃らしいです(布団業界の定説)。放射線は0.24−0.41マイクロ。

 

2012/11/16(金)

■ ガンダムで


 以前、ガンダムSEEDのなかの主人公が相手のモビルスーツを撃破しない戦い方、『不殺の戦い』っていうのがすごいなあと思っていました。5−6年前に書いた内容であると思うんですが、要するにコックピットは壊さないで、武装されている腕などを破壊して『相手のモビルスーツを行動不能にする(パイロットは死なずに帰還してもらう)』という戦い方をしていました。
 でも、・・・難しいかな、フィクションのドラマの中では成立すること、今のエゴ文化の中だと、帰還したパイロットが恨みを持ってしまい(なかなか感謝できることはない)、またそのサイクルが続いて行くことになるのかもしれない。

 これは如何に?そもそも交流しないというのが一番現実的な方法なのかも知れない。
 

 

2012/11/15(木)

■ if


 『お義父さんの工場を継いでいたらぜんぜん違った人生だったかもね』と言われた。そうかもしれない。でも大人になる前に父のプレス工場はなくなっていたからね。
 パナソニックが1万人の削減というニュースを見て、そんな話題だった。父親の工場は10人くらいの町工場だったから、パナソニックと比べるものではないけれどね(笑)。

 先日…っていつの先日か忘れるくらいなのだけど、『お母さん、結婚当時は働いていた○○君のも洗濯してあげてたんだから…』とそんなことを聞いた。梅ちゃん先生のちょっと後くらいの時代だったのだろう、昭和40年代前半だよね。
 プラプラしている独身の社員の生活の面倒の一部も、その会社の社長(だから最初は数人でしょ)の奥さんが相撲部屋の女将さんの如く面倒をみていた。そういうことか。

 バブル崩壊後、経済状況がどんどん厳しくなって、フリーターや何だとか色々言葉がありますが、40年以上前から似たような・・・あった感じです。
 小学校くらいの頃だと思う、記憶がしっかりあるものだから。そんな社員の人(30才前くらいだろうか)が無断欠勤〜辞めてしまった、など。そういう人たちは僕ら子供たちとよく遊んでくれていたから、『○○君(父親がそう呼ぶから君になっている)はいなくなっちゃたの?』と訊くと、辞めてしまったということだった。もちろん、数年間働いてのことだから、数日とか数か月でいなくなったということではない。
 父親は決してラクな経営ではなかっただろうけど、そういう人たちの面倒をみていた所があった。そういう人が2人…以上はいたような気がする。そんな人の一人がまた働くことになった、『また仕事させてください』と来たそうだ。普通に考えたら、ふらっといなくなってしまった過去のある人は信頼できないということで断るのだろうけど、父は違ったようだ。そんなことは子供にはわからずに、また○○君が毎日いて時々遊べると思った。

  小学校のとき、そんな中でいたものだから、働いている大人の人の様々な姿を見れたのはよかったのかも知れない。おぼろげに、自分も工場をするものだと思っていた。プレス機械で製品を作るのは大変そうで、ちょっとしたミスでも怪我するだろし、少し形が違っていても不良品となってしまう。そんなのを朝から晩までは大変だろうなと思った。
  コンピューターという言葉が出始めて、おぼろげにコンピューターで何かもう少し働いている人が簡単にできるような(例えば機械に加工する材料を簡単に位置を合わせるとか)ことが出来たらいいななんて思ってました。

  5年生頃に、入ってきた社員の人は他の人より、父親より年上で、いつもスーツで出社していました。他の人は普段着で来ます。どうもその方は以前はいい会社(上場企業とか)で働いていたらしく、通勤の電車で普段着でいるのがイヤだったみたいでした。
  でも、いつも疲れている顔をしていました。子供ながらに『どうしてそんなに大変なのに毎日仕事するの?』と訊いたら、『家族の生活のため』というようなことを言っていた気がします。それはね、大人になるまで(なっても?)わからないことでしたね。
 
  まあ、とにかく働いている人(父親も含め)たちがもう少し簡単に出来るようになったらいいよね、ってお気楽な考えでいたのは間違いありません。

  会社を失って、それから数年経った89年に父は亡くなりました。父親の人生ってなんだったんだろう。当時から考えますが、答えは見つかりません。

  弟二人いますが、まったく違う毎日を送っていると思います。子供は多かれ少なかれ、良かれ悪かれ親の影響を受けると思います。
  僕は、父親を見ていて大変だなと思いながらも、そういうふうにそばで働いている姿(他の人たちのも)見ていたのは自分にとってプラスだったと思う。
  弟たちは、自営は大変だと思ったのでしょう。それなりに大きな会社で仕事することを選んで、それが自分のしたいことと一致している(のかな?)のだったらいいね。とにかく大変でも通って言われたことをして、毎月安定したお金を得るという人生を歩いています。
 
  ただ、僕は自分でしたいことじゃなかったら、お給料をもらってもなかなか出来ないですからね。同じ現象を見ていた兄弟(兄弟じゃないくてもいいんだけど)だけど、個人の資質も違うけど、まったく違う捉え方をするんですね。

  先日、母親が困っているという内容のことで弟と電話で話したとき、『でもさ、お母さんがどうにかしてほしいって言ったわけじゃないんでしょ?』って、確かにね。僕の受け取り方は、聞いてしまうと『どうにかしてほしい』っていうそういうことなのかと、すべての事に思ってしまう。『ただ、お母さんも(愚痴っぽいものを)聞いて欲しかっただけなんじゃないの』と、なるほどね、冷静な判断かもしれない。

  いい悪いではないけど、自分に力量はないのだけど、『助けてあげないとならない』と勘違いしてしまう(父親が自分より年下の人の面倒をみていた姿を記憶しているからか)傾向がある。もちろん、母親は母親なんだけどね。
  その…物事を真に受けるものだから、特に女性特有の『聞いてもらったら気が済む』というのがさっぱりわからん、聞いてもらっても聞かされても、何も解決しないじゃん!って。よく家内からは『(他のことでね)別に解決したいということじゃないんだよ』と言われるんだけど、相手が解決したいのだとばっかり思ってしまう。

  人生はifなのかも知れない。でも毎日の現実がある。まか不思議だね。

 

2012/11/15(木)

■ 朝はね


 朝から遊ぼうとするには、前の日に宿題をやっておかないとダメだよ。ただ朝に宿題とかをしようという気持ちはわかる。午後〜はまったりとおじゃる丸のように過ごしたいということだよね。夜に話しをしようというのも、夜はそんな時間じゃないよ。会話するのなら早朝がベストでしょ。
 あえなくタイムアップ、学校へ行く時間になってしまったよ。大抵の人は朝は忙しいから、遊ぼうなんて発想にならないんだけどね。息子も週二回の空手の日は遅くなってしまうからか、寝る時間が毎日遅い。ちゃんと本当は8時くらいに寝たら朝たっぷり遊べるのに。
  世の中、生活のサイクルが変だと思う、暗くなったら寝るくらいのそんな感じが自然かなと思う。なかなかそうは出来ないけれど。

 

2012/11/14(水)

■ コダワリ


 ある人からのメールなどのやり取りで、『自分はゲーム感覚で(ゲームは昔からしない)得点ゲットのようなことへのコダワリが強い』というのを自覚しました。

 ずっとずっと前、10代の頃の働いていた飲食店(コーヒー専門店)で、とってもマナーや上下関係に厳しいところだったのです。でも地域で一番のお店という評判なところでした。当時17か18才で、他の人たちはもうちょっと上から年配の(と言っても40歳くらいだったのかな)人達でした。要するに自分が一番年少だったわけですね。

  様々な技術もろもろで、先輩たちにはとっても敵いません。上下関係もとっても厳しいでしたね。そんな中でどうしたら楽しみながら働けるか?
  数年前に診察してもらって、『サービス業なんて一番やっちゃいけない(ストレスだから)仕事のひとつだったよ』と先生に言われてしまったのですが、当時はそんなこと考えてなかったからね。

  そんな中で、得点王…あくまでも自分の中だけでの設定です(笑)、実際の野球やサッカーなどを観るのは全然つまらないと思うのですが、当時はジャンプでキャプテン翼やスラムダンクの全盛期でした。多分、タイプとして近いのは…日向小次郎(小次郎まで行くわけないけど、そんな傾向という意味ですよ、あんなストイックはわけない)、最前線にいてボールをゴールに決めるのが役割みたいな…自分にボールをパスしてくれさえすれば、絶対にゴールしてやる!的な自信…。
  元々自信があったわけではないです。先に書いたように、『どうしたら楽しく働けるか』ということの模索でした。

  そのお店では、毎月何らかのフェアメニューを担当グループで作ります。例えば一月だったらいちごフェアーとか。そしてその売り上げ実績が昇格や何かの査定となるようなのです。僕は一番のペーペーだったので、何も考えていませんでしたが、先輩たちは査定に響くというので、戦々恐々していました。
 そんな中で、お客さんと接するのがうまいという訳であったのでもありませんが、自分が、よく来てくれる顔見知りの方などに『このメニュー注文してよ(まあ、こんな言い方はしませんが)』というと、とにかくオーダーを取ってきてしまいます。先輩たちに感謝されましたね。
 まったくの、その場所に自分の居場所というか、他の人はあまり出来なくて、自分に得意なことを作ると毎日が楽しい(午前中から夜中まで毎日大変でしたけど)時間が過ごせました。

 そんなことを確立していると…自分より10歳も年上の国鉄を早期退社した方が入社してきて、その方はとってもドジで、いつも仕事で失敗して(僕以上にね)苦しそうだったんです。
 今も失礼な人間ですが、当時も相当だったと思いますけど…その方もかなり悩まれていて、年下なのにアドバイスなんぞをしてしまいました。内容は、僕と同じようにお客さんと楽しく過ごしちゃったら、多少のミスもチャラになるんじゃないのというモノ。本当にはチャラになりませんが、自分の中でのチャラという意味ですね。
  それ以降、その方も楽しく働けるようになったので、この方法(何か得意なことを見つけてそれを自信にする)はばっちりだと思っていました。

  その後、お店を辞めた後に…時々遊びに行った際に言われたのが、『(レジ担当の女性から)異動したり辞めたりした人の中で、只野君のことほどお客さんに“あの人はいなくなったんですか?”って訊かれたのはないよ』ということ。
  記録より記憶、じゃありませんが、楽しくも大変だった時ですが、確かに自分がそこにいたんだと思いました。

  そんなことから…自信がないとか、そういう人に『何かある程度のことを成し遂げる(大げさですね)』ということを勧めてしまう。もちろん、自分にも当てはまることで、そういう数値(得点)を得ることへのコダワリ、目標設定してというのは苦手なのですが、何かそういうのがあると指針になるというか、ダメダメでも『ある点では人から認められる』という安心感があるんでしょうね。

 だから、やはり自分に自信のない方には、同じように何か自信の持てることを探してと思ってしまう。できたら抽象的ではなく、数値的に分かりやすい(数字は1より2のほうが大きい数とか分かりやすい)のがいいかなって思うんです。
 受け取り方は色々だと思いますが、当時足立幸子さんが個人の調和度なんぞを紙に描いてくれていました。その頃のYOYOのスタッフたちは幸子さんに対して懐疑的(愛さんは違うよ)でした。でもね、僕は先の理由から数値だとそれが間違っているということはあったとしても、1より2のほうが大きい数値というのは当たり前のことなので、曖昧な言葉とかどうとでも受け取れる言葉で伝える人たちよりも、幸子さんのチューニングは面白いなあと思いました。こんなことをする人がいるんだって、驚きました。

 数値にこだわらないというのは、大切なのかも知れません。
 でも、自分の自信につながるための数値っていうのは、それもアリかなって思います。

  そもそも…その前に高校の時にバイトしていた喫茶店の店長が(当時23歳の)いて、その人が一度に5人の人まで話せて、すごいなあと思って(それだけじゃないけどね)、きっかけはマナーとか身に付いたらいいなと思ってバイト始めたのですが、接客の面白さを教えてもらったというのが大きかったのかも知れません。S店長にも可愛がってもらったなあ。店長は忙しすぎて、長く付き合っていた恋人と別れることになってしまってから、しばらく何も手に付かずにいた時期もあったけど、高校生の常連たち(自分も含めてだけど)が店のカウンターで試験勉強しているときも教えてくれていたり、みんなでバイクでどこか行ったりと、楽しい時だったな。
  そんな体験(楽しいこととか、人と話すことができるとか、何かの自信につながるとか)があるから、若い人たちには人生の一時期はサービス業をするといいというポリシーを持ったんです。今の飲食店のあり方と昔は違うだろうから、なんとも言えないんですけどね。
  工場などで何かを作っている…そういう仕事では体験できないことがあるから、接客は(調理だとお客さんと接しないからちょっと違うかな)若い時期に少しでもしておくといいなと思います。年を重ねてからだと中々できないですからね。 (16日加筆)

 

2012/11/14(水)

■ 色んな内容だったね


 面白い夢だったなあ。どこかで合宿のような形式でいろんな人がいて、いろんな研究発表なんぞをしているという、そんな設定だったみたい。あるグループはそれを人形劇の形で伝えたい内容を発表したり。
 そんなんであっという間に朝になってました。

 

2012/11/13(火)

■ ツリーができたみたい


  100円ショップで…様々なものが売られていますね。クリスマスの飾りもたくさんの種類が。リボンの飾りなんて、30個くらい入って105円…貨幣価値が違う国だったとしても内職の人は大変だろうなと思います。なんだか世の中にモノが溢れすぎていて…100円ショップは特に苦手な場所です。
 
 駅前のクリスマスツリー、もともとある大きな木にデコレーションされるんですが。 先日通り過ぎたときに『あ、星が付いている』と、デコレーション準備しているようでした。、誰も見ていない駅前のクリスマスツリーはきれいですよ。

 

2012/11/12(月)

■ わかんないことだってあるよ、生きてるんだから


 午前中に買い物に行ったスーパーの駐車場で幼稚園の頃からの同じ子のお母さん(と下の子供達ふたり)と会った。二人の子供は幼稚園のはず?今日はどうしたん?って聞くと首を横にブンブン振る。
 どうも二人が風邪気味で休んで病院帰りだったということでした。一番下の子が喘息の気があるということ、さらに息子と同じ年の子もそうだそう。普段見ているとまったく元気な子(入学式の発言には楽しませてもらった・笑)なのだけど、走ると苦しくなってしまうそう。
 
  そんなことを家で『あのさ、〇〇ちゃんのお母さんと会って…喘息なんだって…』ということを話していると、横から息子が『わかんないことだってあるよ、生きてるんだから』と。
  そうだね、みんないろんな形で人生を体験しているってことだね。

 

2012/11/12(月)

■ 想いは巡る


 以前、頑張ってくれていた人がとても大変だということを耳にして(まあそれもその方の学びということなのか)、どうしているのか心配をしたのだけど、もしかしてあの人の関連のところで仕事しているのかな?と思い、その友人に電話で聞いてみるとそうだったみたい。
 それならば(彼の所で働いているのなら)ひとまず安心だ。と思ったら、ちょっと泣けて来てしまった。今現在サポートしてくれている人にも、その人にもそれぞれ違う意味で感謝でした。まさかね、そんなことで泣けてきそうになるとは思わなかった。

 人間は…好き嫌いに拘らず学ぶということなのか。学びとかって何だか苦手なんだけどね。あの人の学びも又聞きで知ったことだけでも大変だなあと思う。

 まったく別の話だけど、『誰々にこういうこと(そういう状況を作ってあげた)してあげたのに、それにはまったく気づきとか感謝とかないよね]って言うと、『僕もね、そういう(人にやってあげたということ)ことを当人に言ったことあるんだけど、本人たちは“自分でやった(他の人に助けられてない”って思うんだよね』っと。
 まあそもそも、『〇〇をしてあげた』って自分で思っている時点で“もうしょーもない自分だね(笑)”って話しなんですけどね。
  それぞれの立場などで、物事の解釈はまったく違ってしまう。それぞれで学び合うのはいいことなのかも知れない。

 今日の放射線、0.26−0.38マイクロ。

 

 

 

2012/11/9(金)

■ 真地球の歴史に書いてあったような


 物事の温度差があると、人は会話が出来ないということ…会話してもあまり意味ない(会話にならない)んだと思う。
 多分、お互いの文化の存在は知っているけど、互いに交流しない…同時期に近い地域に存在していても交流してないっていうのは、そんなことなのかも知れない。
 でもね、話しは別に聞こうと思っているから。ちゃんと日本語、同じようなロジックで通じるのだったら。 話すつもりのない人は無理に会話する必要はないだろうから。その時を、時間のエネルギーを待つだけかな。

 

2012/11/9(金)

■ 当たり前だの


 日にちがかなり抜けてしまってますね。ところどころ書き加えるかも。

 家で話していて、『普通の生活と思っていたものはかなり幸せなことってことだよね』。普通に水道から水が出るとか、…うちも出ますけど、当たり前って思うじゃないですか、こういうのがね、有り難いことで感謝なのかな。

 夕方五時を過ぎると昼間の暑さ(陽が当っているところは熱い)もなくなって、長袖を着ていても涼しい〜ちょっと寒い。陽が暮れるのも早いね。もう冬がそこまで近づいている。
 今朝の放射線、0.26-0.38マイクロ。

 

2012/11/6(火)

■ 発送作業


 メール便の発送なんかをしていました。一部作業を息子が手伝ってくれます。『宛名(住所・名前)を書きたい?』いやいや、それは無理だよ。『漢数字も書けるようになったんだよ』って言われても、まだちょっと無理だからね。シール貼ったり、線を描いたり…それでも、その気持ちがうれしいです。
 学校から帰ってくる時間…ヤマトさんが集荷に来ちゃうよ。でも『お手伝いするのが好き』って言われると、うれしいです。

 なんというか、有り難いことに…子供に仕事をしている所を見せられたり、出来ることを手伝ってもらえる(ちゃんとできてるか見ないとならないので、倍大変だけど)環境というのはうれしいことです。

  なんかね、人の書いたブログで…『最近のままごとには(お父さんとお母さん)がいないそうで、お姉さんが赤ちゃん(とペット)を育ている』という…、そうなの?知らないけれど。出来ないことばっかりなんだけど、親の頑張っている姿(ウチはだらしない姿が多いけど)を子供が見ることが少ないのかなあ。ままごとって主役はお母さんなんじゃないかな?でも今の子たちはお母さん役もやりたがらないそうです。
  男の子が参加するときは、赤ちゃんかペットだそうです。幼稚園で息子もそんなことをしていたのだろうか?聞いたことが無いんだけど。

  今確認しました。息子たちの幼稚園ではオママゴトは誰もしてなかったそうなのです。他の学年の子はオママゴトしていたみたいなんですけれど。

 

2012/11/5(月)

■ 知らないことだらけ


 風邪のときはSODよりもルイボスTXがてき面でした。もちろん、SODもいいのだと思いますが、TXの『炎症を抑える』というのを思い出して…夜に咳きこんで胸が苦しいとき(喉だけだったらPQPがいいかな)に、TXをおもむろに3包飲んだ。すると数分するとラクになった。
 ずっと知らなかったのですが…TXは『ルイボスティの濃縮粉末』だと思っていました。濃縮粉末というのはそうなのですけど、『ルイボスティの上澄みのほうの(薬効が高いところ)をフリーズドライで粉末』にしたものだと、先週知ったばかりでした。…製品を知っていったい何年経っているんだと怒られそうなのですが、知りませんでした。
  ルイボスティを煮出して、(量が問題ですが)たくさん飲んだらTXを同じことだと思っていました。
 
  確かに、TX3包…コップに24杯分くらいのルイボスティということですが、数分後に胸の苦しさがラクになったのは、量的な意味もあると思いますが、『上澄み』の分だったからなのかも知れません。
 

 

2012/11/5(月)

■ のぼせそう


 息子君は学校へ復活。でも僕が風邪っぽい。こういう時は温泉に行くのが一番(本当はサウナがいい)だ。しかし…月曜日は休みの可能性が高い。電話をしてみると留守電、もう一か所の温泉に連絡してみると、開いていた。ので行ってみることに。

 混んでいるなあ。気を抜いていたか、のぼせそうにになった。温泉までは5キロくらい、もう少し近いといいんだけどね。

 

2012/11/4(日)

■ 風邪?


 何だかね、こちらも少し咳が出る。喉と胸が苦しい。風邪かもしれない。それでも散歩は続ける。途中暑くなってトレーナーを脱ぐ(Tシャツとなってしまう)ことに。時々咳が出るのだけで、暑いからTシャツに。

 

2012/11/3(土)

■ 矢沢永吉


 全然興味ないのだけど、夢のなかで矢沢永吉が出てきて、5人で席に座ることになった。となりが矢沢永吉。
  コンサートの後だった、 『時間よ止まれ』はいい歌だと思う。ただ…コンサート中観客がうるさくて(いやいや、夢の中なんだけどね)その場にいるのが疲れる内容だった。

 

2012/11/2(金)

■ 


 息子君、風邪でお休み。昨日も風邪気味でマスクして課外授業(公園)に行ったからか、すっかり風邪。午後に学校まで行って荷物を受け取る。
  昨夜は15度、今朝は13度。

 

2012/11/1(木)

■ ちょっとのことで疲れてしまった


 久しぶり…(火曜は出かけて、水曜は雨が降ったので夕方少しだけ)に散歩したのですが、思った以上に帰りに疲れていた。
 公園に立ち寄り、スーパーまで行って、帰る頃に疲れていた。ちょっと風邪っぽいのかも知れない。


  そして今日から公園の芝生の除染が始まっていました。表土を削り取るそうです。それをしても…際限ないなあと思いながら見ていました。でもまあ、自治体としても何かしていないと色々と言われてしまいますからね。

 昨夜も今朝も15度。放射線は0.22-0.42マイクロ

 

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