先日頂いた、レーザーディスクよりコピーしてもらった谷村新司の青山劇場のコラソンの中で、“冬の嵐”と“チャンピオン”の間のトークで、あまりにもかっこよかったので、文章にしてしまいました。
以下、谷村さんのトーク
10年ほど前だったと思いますが、体を一度壊しまして入院したことがありました。
その治療を受けているベットの中で先生と色んな会話を交わしたことを、ふと思い出しました。
『先生、病気なんて なくなればいいのにね』
すると先生が
『無くなったら困る』(会場・笑)
その後こうおっしゃった
『昔から無病息災なんてって言うけれど病気がないっていうのが何よりだというけど、本当は違う。正しくは“一病息災”。
仕事に差しさわりのない程度の病気をひとつ体のなかに持っていれば、これが何よりだよ。
そうすれば自分の体を愛しむこともできるし、病気を持っている人にやさしくすることが出来る。病気をひとつ持っているというのは優しくなることだから。
周りの健康体の人を見てごらん、優しくないでしょって』 (会場・笑)
『登山家たちの間ではもう常識になっているらしいですけど、山に登るときパーティの中に体の弱い人を一緒に連れて行く。
そのパーティは絶対に遭難することはありえないしない。
なぜなら、その人をいたわりながらみんなで登っていくから。
健康体の人間の集まったパーティだけが遭難してしまうんだよ』
なるほどなあ…
先日他界しました父にこんなことを言ったことがあります。
『オヤジ、人間の命って永遠だったらいいのにね』
すると親父がこう言いました。
『永遠じゃいかん。もし人間の命が永遠だったら、
人間はどこまで我儘になって
どこまで傲慢になるかも知れない、
だから命には限りがあったほうがいい』
今現在1989年。医学も科学もこんなに発達した現代でそれでもなお、どうすることもできないことがあります。
それは、いつまでも年老いないということ、そして死なないですむということ。
ふり返ってみると、どの時代にも必ず不二の病というのがあります。
つい最近までは肺結核がそうであったようで、エイズであったりガンがそうだと思います。
こんなに科学や医学が発達した現代にどうして不二の病があるんだろう?きっとそれには理由があるはずだ。
僕はこう思います。
“命ある限り人間らしく生きなさい”という、それは神からのメッセージではないかと。
そしてチャンピオンが始まる。
1989年、大体谷村新司は40才くらい。アリスの活動はほぼなくて、アルバムではヨーロッパ三部作を作っている頃。大きなヒットはないけど、毎年年末の子供の城の円形劇場でのロングラン、ステージではシャンソンのような感じでありつつ、往年のアリスのナンバー、そして面白いトーク。
僕もちょうど父親が亡くなった頃だなあ。このLDは持っていたから 何度も観ていたけど、こんなトークがあったなんて覚えてない。同じものを見聞きしても、自分のありようで違ってしまうんだね。 |