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*  2003年 10月 *



ニュースレター

2003年 10月

LaPLAYHMのHPに新しいコーナーが出来ました

 幸子さんの写真や幸子さんに生前ご縁のあった方のお話しなどの動画や、各地でのエンゼル・サチ展の様子などもHP上でご覧いただけるようになりました。
 今後、各地での個展のレポートも増えていく予定です。また、『○○で幸子展をやった時の写真とかあるから掲載して〜』という提案などございましたら、FALF&ARUT LaPLAYHMまで御連絡ください。お待ちしております。


近所の兼業農家の菊池さんのお話

  この喜多方市岩月町の治里という部落なのですが、そのほとんどが兼業農家の家庭のようです。私たちも来年こそ(?)少し野菜とかを育てて生きたいと思っていますが、その中の菊池さんという方が、新聞にコラムを連載されていて、それをまとめた本を作られていました。今回はその一部の内容を皆さんに御紹介したいと思い、掲載させていただきました。


農と食の教育

 最近、農業にわずかな追い風が吹いて来た様に思える。よく注目しないとわからないが、それは学校の教育の中に見られる変化なのだ。
 私は五年ほど前から地域の入田付小学校(生徒数三十数名)の子供達と田植や稲刈りの体験学習を続けている。たいした事ではない。子供の泥あそびを指導する様なものだが、最近変わって来たのだ。地域の我々以上の年代を対象とした生活習慣などの勉強である。
 この前、私の妻が味噌作りの話しをして来た。私も前に稲作りの話しをしてくれと教頭先生にたのまれて行って来た事がある。その他にも老人クラブの人達と対話や遊びもある。
 
 現在の世の中や現象を判断して見ると、どうしても今までの教育が人間性の追求の部分に於て間違いだったと気付いたのではないだろうか。つめ込みの学歴社会から最高学府の教育を修了したスーパーエリートの行動は、今や非難ごうごう台風なみの風あたりだ。

 我々子供時代(約五十年前から三十年位前まで)家の手伝いをするのは当り前。低学年から高学年まで風呂たきや水くみ、たきものや炭を山から背負って運ぶ事、馬のはな取りやかいば切り、めしたきやソーメンゆでまで、夕方までにやって置かなければならない事もあった。高学年になれば弟や妹の子守、田植の手伝い、苗運び。秋になれば脱穀作業の稲束運び、リヤカーにつけた籾の始末など数え上げればきりが無い。そのあげくのはてに『勉強しろ』の親父の声は、身の毛がよだつ程嫌いな言葉だった。
 子供と言うものは、ひまを見つけたら、すぐ野山での遊びを見つけて家に帰りたくないのが、普通の姿だったはず。

 私達が親になって、その想いが子供に手伝わせない農業を目指し、機械化された作業が実現してしまった。田んぼや畑に子供の姿がなくなって三十年か四十年以上はたってしまったろう。日本の農業からは、開発や成長神話が善として、都会に向かう民族の大移動があり、都会と農村の段差がひずみとなって沢山の問題をかかえている。『過疎』『環境』『少子化』『高齢化』など、今までやって来た事は、一寸間違っているんではないかと考え始めたので、子供達を心豊かな農村にとけこませ様としているのだと、私は思っている。
 
 もう一つ大事な事がある。食の教育だ。私の家では、三世代七人の家族だ。兼業農家の常として、孫三人の食事の世話は、私の妻がそのほとんどを受け持っている。仕事の関係で子供の親達は、食事の都度そろう事は休日以外あまり無い。食事の準備をして何を食べさせるか、茶わんやはしの持ち方まで、小さい内にしつけないと大きくなって大変だ。ありあまるほど食べ物がある時代だから、好きにさせて置いたら、栄養が片寄ってしまうし、近頃は子供にも糖尿病があるそうで、昔ながらの日本型食事が健康の基本だと思っているから、我が家では、ジュースやインスタント食品の箱買いはしない。

 大売出しの安売りに、どっさり買うのは、経済的に見えても、それは子供のためにならない。
 畑からとれた野菜や山菜の料理、時には小魚のいためたものやら、焼いたスルメも出て来る。魚を食べさせ様とすれば、骨にきらわれて仲々口に入らない。肉とかカレーライス、チャーハンなどにすれば、びっくりする程食べる時もあるが、毎日と言うわけには参らない。たまには味噌おにぎりがおやつになる。

 この前、私達年代を対象にした生涯学習で聞いて来た『まごわやさしい』の食事法を紙に書いて台所の壁に貼りつけた。講師先生の受け売りをすると『ま」は豆・大豆食品、『ご』はゴマ、『わ』はわかめ・海藻類、『や』は野菜・山菜、『さ』は魚類、『し」は椎茸・きのこ類、『い』はいも類なそうだ。そんな食品を並べると、昔子供の頃から食べなれた食物料理が一番良いと言う事になってくるはずだ。昔からこの地域で作り上げた郷土料理伝統食とも言えるだろうか。(中略)

 世の中が変わって来た。今までこんなにつまらない地域だと思ったり、地方より都市化現象がすばらしく、大きい事がすべてだったのが、見直されて来ている。豊かさの指標が変わって来ているのだ。金をたくさん持つ事がどうなるのか、文化的な生活だとして自動車を乗りまわして、うまいものを食べちらかして、自己中心のエリート意識をふりまいてしまう。豊かさとは、そんなものではない。都市と農村で豊かさの差はなくなった。

 結局のところ、私が生まれて育った時代、子供にとって理想的な環境だったと言う事だろう。いやいや乍らやった農作業の手伝いやら、貧しかったと思った食事は、今見直されている。豊かさを追い、都市化にあこがれた私達の五十年は一体何だったのか?
 心しずかに想いをめぐらせば、ここ(地域)にある心のやすらぎが豊かさそのものだとの結論になってくる。農業の持つ教育機能は、本来大変に重要な事なのである。

平成十二年四月

菊地 眞洲男 著 『農のく繰りごと言』(2001.4.25発行)より

 

 HPの『日々の翔太』をご覧になっている方は御存知かと思いますが、お隣のおばあさんが亡くなってお通夜と告別式が先日ありました。近所中でお手伝いをするのですが、会社員の方も二日間仕事を休んで手伝うのです。東京育ちの私は何もわからないまま…御近所のみなさんや菊池さんに色々教えていただき、お世話になりました。
 ここから歩いて2分くらいに入田付小学校があるのですが、その生徒さんも素直な子供たちで、引越し当初、道を歩いていると『こんにちは〜!』と声を掛けてきます。一応…こちらが大人(笑)なのに情けないなァと思いました。
 この地では周囲の人からたくさん学ぶことがあるみたいです。


唐突ですが…ゴミの話しです

 この地域は火曜日と金曜日がゴミ出しの日ですが、専用の袋がなかったために持っていってくれませんでした。近所の方が『専用袋に入れないと…』と袋の見本をくれました。親切な地域ですよね。
 ただ、二週間・・・といっても引越しや元からこの家にあったゴミを袋にして三つ出しましたので、とりあえず戻して…。敷地内で焼いてしまおうと思いました。ついでに紙などのゴミも…かなりの量を焼きました。
 
 焼いている最中は熱い…数時間の間に2リットルくらいの水を飲みながらやりましたが、この時はたまたま目の前で焼却していたのですが、目の前にあろうとどこかに回収されて焼却されるのであっても『地球にもこれだけの負荷をかけているんだ』と思いました。
 ゴミ回収されてどこかで燃やされていたらそんな事まったく(少しはね…)考えなかったと思いますが、とてもいい機会になりました。

 ただ、『スーパーなどの袋も専用の袋に“ゴミ”として入れて捨てるしかない』というのは変だなと思いました。ゴミを捨てるためにゴミ(ゴミ袋)を買うなんて…。実は今まで東京でゴミ袋を買ったことがないんです。

 どちらにしても出来るだけゴミを出さないような心がけをしていきたいです。
 子供の頃は、お豆腐屋(隣がそうだったのですが)にお鍋を持っていった記憶があります。今は…某メーカーのお豆腐は美味しいのです…冷奴で食べて、少し残しておいた分を蜂蜜(もちろん竜眼蜂蜜ですね)かけて食べると美味しいんですけどね。でもあまりゴミが出ない生活したいですね。
 94年に新作で日本テレビで製作された『ウルトラセブン(地球星人の大地)』の劇中で、メトロン星人が『宇宙には“ゴミ”はない』という台詞を話しています。循環する社会になれたらいいものです。


七田眞先生と唐橋さん

 足立卓朗さんから唐橋さんのことはたくさん伺っていたのですが、ご本人に9月3日にお会いしました。
唐橋脩さんはフジテレビ・福島テレビとで編成(番組をどういうふうにするかというテレビ局の中でも重要な仕事ですよね)のお仕事をされていた方で、卓朗さんとは『きっと親友なんだな』と勝手に思いました。
 
 お父様が喜多方の市長をされていた(今も喜多方にお住まいです)事があり、この地にとても縁がある方です。こんなにも未熟な私達が福島に来たことをとても歓迎して下さり(これは他にみなさんもそうなんですけど)本当に嬉しかったです。
6年位前、五十嵐さん夫妻や須藤さんたちと一緒に、足立育朗氏の講演会を開催したこともあるそうです。
 
 福島市で唐橋さんが幼児教育の第一人者であります七田先生の講演会を開催しました。私たちLaPLAYHMの三人は初めて福島市に行ってきました。
 私は銀行などをまわっていたので講演会は聞けなかったのですが、終了してから会場のそばのコーヒーショップで七田先生が寛いでいました。そこに私たちが混ざってしまったのですが(主催の唐橋さんがいいって言ったからですよ)七田先生はこころよく受け入れてくださいました。
 七田先生はお忙しい方ですので、普段の講演会などではこういう時間はほとんどとれないそうですが、今回はラッキーだったようです。

 七田先生はエネルギッシュで70代とは思えないような方です。『夢(ヴィジョン)を持って生きること』の大切さを私たちに教えてくれました。その夢に対して努力を重ねて続けていくことの重要性も仰っていました。これからも御活躍くださいませ。


昔話

 以前、YOYOで働いていた時の事を思い出していました。逗子の建物が建設されている最中で、400時間以上/月、休みは年間4日位。でも自分がやりたい事でしたので大変だったけれど楽しい時代でした。未熟なできない自分がやるから、人並以上に努力をしようと思った…。
 
 逗子の建物は地球にとってとても大切だから、なんとか…自分の出来ることを一生懸命して、愛さん(社長)を余計な仕事をさせて消耗させないようにしよう、守るんだ!という気持ちでね(自我だったかも知れないが…今思うとですけど)。

 会社や事業の立ち上げというのは、きっとどこでも大変なんだと思う。まして調和のとれた方向での事ならばなおさらそうだと思います。
 YOYOを97年に辞めて、それから半年くらい経ったころに秋吉君と若林さんから『仕事としてまた調和のとれた製品の流通をやりましょう』という誘いがありました。

 最初は絶対にやらない(笑と思っていたんだけど、若林さんの『翔太さんは何をやりたいの?』という問いに、お店とかをやりたいと応えました。そして若林氏は髭を触りながら『でもさ〜今すぐに出来ることからはじめるといいんじゃない?』と言い、聞きたくないのにアオバの仕組み・理念を話し始めた。

 確かに、誰でもが出来るところから始められ、その結果として調和のとれた製品が多くの人の手に渡っていく方法だと気づかされた。もちろんこうした方法を自我と欲の拡大に使ってしまう人も数多くいることも事実ですが…。

 話はずれますが、今の僕が喜多方にいるのも…色々な冊子とかを作ったのも、講演会とかをやったのも、片岡さんの測定とかそういうのも、足立さんの講演会の冊子とかを作ったのも、ホームページもそうだし、ロゴを樹生さんに依頼したのも、やらない理由を考えるということではなくて、きっと愛さんの『“どうしたら出来るか”をベースに考える』ということ、そして若林さんの『すぐに出来ることから始める』ということが大きく影響されていると思いました。感謝しています。
…たくさんの人に迷惑をかけながらも何とか生きているんですから…。

 大したことではないのですが、宇宙さんから見たら、別に僕・只野翔太じゃなくてもいいわけだからね。他の人がやっていたかも知れない。その方がスムーズに円滑にいくのかも知れないけどね。

 このような事を思い出させてくれた尾ア久美さんと安藤佳子さんに感謝です。誰もがそうなのかも知れませんが、特に僕は感情面とかは未熟です。お互いぶつかり合ってもいいと思っています、よりよくしていく事のためには(笑)。

 ちょっとまじめに書いてしまって照れるのですが、後でこれをネタにしないように…(笑)。ただ、何かをクリエーションしている時は愉しいので、そういう体験を皆さんと一緒に重ねていけたら幸いです。

 少しばかり…ウルトラマンダイナの映画と最終回のセリフを書こうとと思ったのですが、量が多くなってしまったので、次項にいたします。(ほとんど趣味のページになってしまう)


ダイナの映画と最終回

松竹映画『ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ』(98年)より〜

ヒビキ  『何を一人で煮詰まっているんだ〜?』
アスカ  『(近づいてくるヒビキに気づいて)隊長…』
ヒビキ 『ハハハ…まるでメッタ打ちにあったエースピッチャーって顔だなァ』
アスカ  『もっと最悪です。俺のした事は多分、満塁押し出しのさよなら負け』
ヒビキ 『よくわかんねぇが、お前の言っている事はな、自分の力だけで勝とうとしている奴の典型的な負け方だ。要するに自滅だ。』
アスカ  『自滅?』
ヒビキ 『アスカお前、ピッチャーのマウンドがなぜ高くなっているか?考えた事あるか? “ピッチャーは孤独だ”と言うが、俺はそうは思わない。マウンドの中央が高くなっているのは、仲間にその背中がよ〜く見えるためなんだ。“がんばれ!”“負けるな!”そんなみんなの声援が一番届く場所なんだ。だから…』
アスカ  『俺…きっとピッチャーには向いてないんです。』
ヒビキ 『(その場を離れていくアスカに)明日の正午、TPCの総力をもって敵との決戦に臨む!ダイナでさえ勝てなかった相手だ。はっきり言って厳しい戦いになるだろう。だが俺は人間の勝利を信じている!』
  ===================
少年 『お兄ちゃん(アスカの事)スーパーGUTSの隊員だろ?』
アスカ  『(スーパーガッツのジャケットを着ている)君だってそうじゃないか』
少年 『悪い怪獣なんてきっとやっつけてくれるよね』
アスカ  『ああ(心もとない返事)…どうかな、今度の敵は』
少年 『(蹴りを入れて)ダメだよ。そんな弱虫でよくスーパーGUTSに入れたね。(アスカをポンポン叩きながら)僕が隊長ならお兄ちゃんクビだな』
アスカ  『本当、(少年に背丈に合わせしゃがんで)そうだな…それ(少年の手にボロボロになったウルトラマンティガの人形が握られていることに気づく)ウルトラマンダイナ?』
少年 『違うよ、ウルトラマンティガ!(アスカに手渡しながら)』
アスカ  『(受け取るアスカ)ティガ…』
少年 『僕のお兄ちゃんがね、宇宙飛行士の学校に行く日にね、僕にこ人形をくれたんだ。これを持っていればきっと“光になれる”って』
アスカ  『光…?』
少年 『ティガは光なんだよ。だからどんなに強い敵にも絶対負けなかったのさ』
アスカ  『(過去のTPCのデータを探し、それを口にする)ティガ…人類を滅亡の危機から救った無敵の超人…そのティガも俺と同じただの人間だったのか?(元GUTS隊長イルマの存在を知る)』
  ===================
イルマ 『(自室にて緊急時に訪ねてきたアスカに)こんな時、スーパーGUTSの隊員が何の用件かしら?』
アスカ  『ティガの事、俺に教えてもらえませんか?』
イルマ 『(どうして?という驚きとともに振り返り)えっ?』
アスカ  『どうして無敵だったか?強大な闇に立ち向かって行く事が出来たのか?』
アスカ  『(アートデッセィ号甲板においてのGUTSメンバーの写真を見ながら)GUTSは凄く結束の固いチームだったんですよね。今でも時々集まったりするんですか?』
イルマ 『(コーヒーを用意しながら)みんな、今ではそれぞれ夢をめざし頑張っているし、(目を閉じて)それにこうして目を閉じるといつでも彼らには会えるから』
アスカ 

『よくわからないけど、(そういう仲間がいて)何かいいっすネ』

イルマ 『ところでティガの何を知りたいの?』
アスカ  『もし出来るなら…(イルマを見据えて)俺はティガに会いたい。会って色々と訊きたいんです。なぜそんなに無敵だったのか?どうして世界をやみに包み込むような強大な敵を倒すことができたのか?』
イルマ 『残念だけど、私にその希望は叶えられないわ(アスカ驚きを隠せない)ティガはもういないの。だから二度と会えない…』
アスカ  『テイガはもういない…』
イルマ 『でも、もし会えたなら…きっとこう言うでしょうね“俺はけっして無敵なんかじゃない”って』
アスカ  『(意外な返答に戸惑うアスカ)えっ?』
イルマ 『テイガが勝てたのは、その本質が光だったから。』
アスカ  『光?』
イルマ 『それは誰の中にでもあるわ。もちろんあなたの中にも。たくさんの人の光を輝かせる力がティガにはあった…だからどんなに恐ろしい闇にも立ち向かって行けた』
アスカ  『たくさんの人の光…(スーパーGUTSの仲間の事を思い出し、何かを決心する)』
アスカ  『(走りながら)試合はまだ終わっちゃいない。俺は自分だけ勝手にマウンドから降りようとしていたんだ。』

ウルトラマンダイナ最終回『明日(ひかり)へ…』(98年8月29日放送)より

火星のバイオパークの研究員として活躍しているダイゴとアスカ隊員の会話より〜

アスカ 『おかげで命拾いしました』
ダイゴ 『お互い様だよ。僕達も…二度もこの星(火星)を守って貰った』
アスカ 『えっ?まァ。(話しを誤魔化すかのように)きれいですね(お花が)、凄く』
ダイゴ 『ほとんどが地球産(の植物)だけど、この星で生まれた種子もある。まだ実を結んだのは僅かだけど、いつかこの星を“火星生まれの花”でいっぱいに出来たらって思って…』
  そこに妻・レナと娘・光がバイオパークに入ってくる。
『ママ〜』
レナ 『光、見てこんなきれいなお花咲いてるよ』
  光を抱きかかえて花に近づけるレナ、そしてそれを見ているダイゴとアスカ。
『いい匂い』
ダイゴ 『そこであの子達が…また、その子供達が遊べたらって…』
アスカ 『あの…ダイゴさんはなぜ(GUTSの)前線を離れたんですか?』
ダイゴ 『守るべき未来は、人それぞれにきっとあるはずだから。(上空に来たガッツシャドーを見上げて)君の仲間が迎えに来た、さっき連絡がとれたんだ』
アスカ 『あの、俺まだ色々聞きたいことが…』
ダイゴ 『僕も…君と同じ(ウルトラマン)だった。なぜ闘うのか?自分は何者なのか?誰かにその答えを教えてほしかった』
アスカ 『ダイゴさん…』
ダイゴ 『でも最後は“自分で出さなきゃならない答え”もある。人として出来ること、それは自分自身で決めるしかないんだ』

以上、ウルトラマンダイナの劇中セリフより抜粋しました。

 


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