TOP >> 2003年7月日記 

2003年9月

 

2003/9/1(月)
■ 市議会議員の渡部さん

 喜多方市の市議会議員の渡部英紀(えいき)さんとお会いしました。市役所の前の美術館の喫茶室で4時半に待ち合わせをしたのですが、『くら』という喫茶店だと伺っていたので、そのお店の名前は違ったのです。となりのラーメン屋さんで『くらという喫茶店は…』と聞くと、くらの場所を教えてくれました。そして『くら』で待っていたのですが、一向に現れません。携帯に電話が入り、『どこにいるの?』と言われました。『くらにいますよ』と答えたのですが、名前を言い間違えていたみたいです、さらにその間違えた『くら』という喫茶店が存在してしまったのがポイントでしたね。
 
 して、10分遅れでお会いできたのですが、渡部さんは結婚式の司会業や農家を営みながら、今期から市議会議員をされている方だったのです。お話ししている途中に会津いいで農協の理事をされている星龍一さんが現れて、渡部さんが私に星さんを、星さんに私を紹介してくれました。
 そして明日、この喜多方とその周囲の地域の方で(きっと現実に根ざして実行されている人達かと思います)よりよい地域作りをしていきたい人たちの会合(っていうか食事会?)があるそうなので、私も参加させていただくことにしました。ただ、会費の3000円が痛いのですが…。
 
 その後、渡部さんの自宅に招かれて奥さんと三男のあきらさんと一緒に食事をいただきました。あきらさんは24歳で数年前に東京(と横浜)に住んでいたそうです。現在は農機の会社に勤めながら農業を継いで行く準備をされているナイスガイでした。おいおいあきらさん達と協力して何か出来るのかと思いました。
 そして喜多方の街中に元時計屋が空いていて、蔵が二棟もある物件…そこでショップや自然波レストランをやれたらいいなァなんて思いました。久美ちゃん、佳子ちゃんから、『ハーモニーライフを会社にしよう』なんて言われていますが、いずれそうしたいとは考えていたのですが、資金があるわけないよう~、二人は無責任な発言だから言えるんだよ~とグチりながら、でも決心が先なのかも知れないですよね。ハーモニーライフ・カンパニー…なんか嬉しいんですが…。今日は長くなってしまいました。おやすみなさい。

 

2003/9/2(火)
■ 会津末広会

 実は昨日の渡部さんのお誘いで、私なんかが参加していいのだろうかという懸念がたくさんあったのですが、来た話は意味があるからまず行ってみる事としました。市役所近くの料理屋ですが、もうすでに10人くらいの先輩方が集まっていました。

 ちょっとこういう文章書くのは…普段書いているのとかって違い、なかなか文章が進まない…。(笑)喜多方…会津をよくしていきたいと思うメンバーが集ったのです。喜多方のラーメン館の会長さんや農協の理事の星さん、お隣の塩川町の議会議員の渡部孝雄さん、桧原湖で船場の宿を運営されている松崎さん、無農薬でお米を作っている新田さん、自転車屋の上野さん、そして発起人であります北塩原村の議員の五十嵐さん…まだまだみなさんいらっしゃったのですが、こうしたそうそうたるメンバーの中に果たして私がいていいんでしょうか???というのが正直なところでした。しかも30代なんてたった一人でしたしね。

 3日のお会いする、福島市で幼児教育をされている唐橋さんを個人的に知っているという新田さん!世の中はせまいですよね…。
 この会がこれからどうなっていくのか…まだわからないのですが、ただこれからきっと意味がわかってくるのかなァと思います。
 毎月2日に行われるみたいなので来月も楽しみです。

 

2003/9/3(水)
■ 七田先生

 福島市で唐橋さんが幼児教育の第一人者であります七田先生の講演会を開催しました。私たちLaPLAYHMの三人は初めて福島市に行ってきました。
 私は銀行などをまわっていたので講演会は聞けなかったのですが、終了してから会場のそばのコーヒーショップで七田先生が寛いでいました。そこに私たちが混ざってしまったのですが(主催の唐橋さんがいいって言ったからですよ)七田先生はこころよく受け入れてくださいました。七田先生はお忙しい方ですので、普段の講演会などではこういう時間はほとんどとれないそうですが、今回はラッキーだったようです。

 七田先生はエネルギッシュで70代とは思えないような方です。『夢(ヴィジョン)を持って生きること』の大切さを私たちに教えてくれました。その夢に対して努力を重ねて続けていくことの重要性も仰っていました。これからも御活躍くださいませ。

 

2003/9/3(水)
■ 唐橋さん

 卓朗さんから唐橋さんのことはたくさん伺っていたのですが、ご本人とお会いしてわかったことがあります。
①喜多方市治里の郵便局(小さい局です)の方と同級生だった。
②気さくな方
③ヴィジョンを現実化する行動をとられる方
④その他
 こんな風にお会いした方の事を書いたのは初めてなんですが、たまにはいいかなと新しい試みでした。フジテレビ・福島テレビとで編成(番組をどういうふうにするかというテレビ局の中でも重要な仕事ですよね)のお仕事をされていた方で、卓朗さんとは『きっと親友なんだな』と勝手に思いました。
 お父様が喜多方の市長をされていた(今も喜多方にお住まいです)事があり、この地にとても縁がある方です。こんなにも未熟な私達が福島に来たことをとても歓迎して下さり(これは他にみなさんもそうなんですけど)本当に嬉しかったです。
 以前、時々この『翔太の日々』に登場してくださっている五十嵐さん夫妻や須藤さんたちと一緒に、足立育朗氏の講演会を開催したこともあるそうです。
 今日はお忙しい中、お相手して下さりありがとうございました。今度、近いうちに喜多方の地でお会い出来ることを楽しみにしています。

 

2003/9/3(水)
■ それは遠回りでしょう…すいません

 帰りの道のり、五十嵐さんに案内していただいたのですが、分岐点で『こちらが会津若松ですから、連いて来てください』と言われたのですが、この方向だと五十嵐さんの郡山に遠回りになってしまうと思いました。
 信号で停まった時に、隣に乗車していた久美ちゃんに五十嵐さんの車に走ってもらって、『ここからは大丈夫ですよ』と伝えてもらいました。
 
 本当にいつもお世話になっています。ありがとうございました。夕方、足立さんの講演会の会場となったところで暗くなりまでお話してくださりありがとうございました。

 

2003/9/4(木)

■ 愛さんと若林さんのことを思い出しました


 以前、YOYOで働いていた時の事を思い出していました。結局昨日眠ったのは朝の6時頃でした。
 逗子の建物が建設されている最中で、400時間以上/月、休みは年間4日位。でも自分がやりたい事でしたので大変だったけれど楽しい時代でした。未熟な…できない自分がやるから、人並以上に努力をしようと思った…。
 
 逗子の建物は地球にとってとても大切だから、愛さん(社長)を余計な仕事をさせて消耗させないようにしよう、守るんだ!という気持ちでね(自我だったかも知れないが…今思うとですけど)。

 会社や事業の立ち上げというのは、きっとどこでも大変なんだと思う。まして調和のとれた方向での事ならばなおさらそうだと思います。
 YOYOを97年に辞めて、それから半年くらい経ったころに秋吉君と若林さんから『仕事としてまた調和のとれた製品の流通をやりましょう』という誘いがありました。最初は絶対にやらないと思っていたんだけど、若林さんの『翔太さんは何をやりたいの?』という問いに、お店とかをやりたいと応えました。そして若林氏は髭を触りながら『でもさ~今すぐに出来ることからはじめるといいんじゃない?』と言い、聞きたくないのにアオバの仕組み・理念を話し始めた。
 確かに、誰でもが出来るところから始められ、その結果として調和のとれた製品が多くの人の手に渡っていく方法だと気づかされた。もちろんこうした方法を自我と欲の拡大に使ってしまう人も数多くいることも事実ですが…。

 話はずれますが、今の僕が喜多方にいるのも…冊子とかを作ったのも、講演会とかをやったのも、片岡さんの測定とかそういうのも、足立さんの講演会の冊子とかを作ったのも、ホームページもそうだし、ロゴを樹生さんに依頼したのも、やらない理由を考えるということではなくて、きっと愛さんの『“どうしたら出来るか”をベースに考える』ということ、そして若林さんの『すぐに出来ることから始める』ということが大きく影響されていると思いました。感謝しています。…たくさんの人に迷惑をかけながらも何とか生きているんですから…。

 大したことではないのですが、宇宙さんから見たら、別に僕・只野翔太じゃなくてもいいわけだからね。他の人がやってたかも知れない。その方がスムーズに円滑にいくのかも知れないけどね。

 
 こんな事を思い出させてくれた尾﨑久美さんと安藤佳子さんに感謝です。
 誰もがなのかも知れませんが、特に僕は感情面とかは未熟です。お互いぶつかり合ってもいいと思っています、よりよくしていく事のためには(笑)。
 

 ちょっとまじめに書いてしまって照れるのですが、後でこれをネタにしないように…(笑)。ただ、何かをクリエーションしている時は愉しいので、そういう体験を皆さんと一緒に重ねていけたら幸いです。

            只野翔太とそのエハピーコ

 

2003/9/4(木)
■ NTT-MEとボーダフォン喜多方

 本当は実名を出したいくらい素晴しい方達だったのですが、こんな事がありました。
 3週間くらい前にパソコン回線が繋がらずADSLは諦めていたのですが、NTT-ME福島に立ち寄り、話を聞いてみることにしました。そこのスタッフのNさんの説明が今まで色々な方からインターネットのあれこれを聞いた中で一番わかりやすく明解だったのです。そんな人の説明だったのでダメ元でフレッツに申し込みました。すると今回はうまく繋がったのです。
 今日はそのNさんがより安く使える手続きするための書類を送ってくれていたのですが、読むのが面倒だったので、ちょっと寄って書類の書き方を教えてもらい提出しました。
 
 一緒に町に来ていた久美ちゃんの携帯の調子が悪く、Jフォンのショップを探していたのですが、とても明るく明解で親切なNさんだから、他社のお店を聞いても快く教えてくれるだろうと思い、聞いてみると…『実は友達が(Jフォンショップに)働いているんです』と言うのです。即座に電話をしてくれて、場所を教えてくれてその場を私達は後にしました。

 『Nさんに聞いたのですが…』とショップに入るとカウンターの奥からNさんと話していた電話の主が現れました。結局、久美ちゃんの携帯はかなり古く充電器が使えなくて、ショップでも充電出来ずにいました。
 他のお店で7300円で売っていた機種が8300円だったのですが、久美ちゃんはそちらに最初行きたがっていました。電気屋で機種交換すると、電話番号とかのデータが新しい電話に移せない…でもここだとそれも出来るのです。『ここでやってもらえば…』と言ったのですが、『翔太さん、いつもは倹約、倹約って言ってるじゃない…』と言う…確かにそうなんですけど、今回は何となくこのボーダーフォンのショップでやってもらうのがいいと思いました。あっ、こちらのショップの担当者はSさんです(送らばせながら…笑)。
 
 このSさんも、NTT-MEのNさんに劣らないくらいに丁寧に、頭の悪い私と久美ちゃんに色々な料金プランとかについて事細かに、わかりやすく教えてくれたりして、本当にその差額の1000円以上の価値がありました。ついでに私の携帯(あまり使わないし、この家は電波入らないですけど…)の料金プランも適切なのを相談に乗ってくれて、とても助かりました~。
 
 この二人が、…Sさんの話しで高校の時の同級生だったといいう事を教えてくれました。こんな二人の接客から自分の態度の傲慢さを痛切に感じました。こんな風に人に接せられるといいですよね。とても気持ちよかったです。

 

2003/9/5(金)
■ 朝から

 昨日は遅く…だらけ生活のため、8時過ぎにあった電話で目を覚ましました(笑)。神奈川県大磯の安部尚美さんからです。かれこれ6-7年お世話になっている方ですが、昨晩3時頃に目が覚めたらしく、どうも幸子さんの個展を来年3月頃に(喜多方でも雪が解けた頃にやるのですが)やりたいと思ってしまったようです。
 私もうっすらと、大磯では安部さんが幸子さんの個展をやるんだろうな…と思っていたのですが、ドンピシャでしたね。

 

2003/9/6(土)
■ 空想少年

『空想少年』

 作詞 松井五郎 作曲 鈴木キサブロー

どんなに遠くても 行ける星があると 心はまだ 信じるかい?

大空を飛ぶこと 教えてくれるひと 君のそばに かならずいる

愛がずっと あるように ボクら 生まれてきたんだね

夢をがんばって 夢を『ほんとう』に 変えてゆける 力があるから

君ががんばって ボクとがんばって 向かう未来 扉を開こう

夢をがんばって 夢を『ほんとう』に きっとできる 世界があるから

君ががんばって ボクとがんばって どんなときも まっすぐに行こう

君ががんばって ボクとがんばって 向かう未来 扉を開こう

うまくいかないとき 誰にだってあるのさ だけど君はひとりじゃない

失敗もたくさん してもかまわないのさ 大事なのは 負けないこと

みんなずっと 少年なんだ 同じ 空を見てきたんだ

夢をがんばって 夢を『ほんとう』に きっとできる 世界があるから

君ががんばって ボクとがんばって どんなときも まっすぐに行こう


(一部抜粋)

 

2003/9/6(土)
■ なにがみえるかなの原画展
 
 10月31日(金)~11月4日(火)まで、大磯の安部尚美さんのお家で『なにがみえるかな?』の原画展を行います。
 当初、近くのギャラリーを借りて行う予定でしたが、ギャラリーの使用料が思ったより高かったので、ちょっと断念しようとしていたようですが、昨晩に電話を頂いたときに『安部さん、お家でやればいいじゃないの。伏原さんはお家でやったんだよ』と言いました。その後で伏原さんに電話をしたそうです。
 すると、奥さんの恭子さんが『幸子さんの個展のことでしょ?(笑)』と開口一番に言われたそうです。するどいですよね、井野さん(恭子さんの旧姓です。ついつい井野さんって呼んでしまいます)。
 かくして、この日程で行うこととなりました。そして11月の2日には足立卓朗氏のお話し会の開催も決定いたしました。

 

2003/9/6(土)
■ ハーモニーライフカンパニー

 毎日ドタバタがあるのですが、今日は『喜多方市内にお店を出したい!』と、それぞれない知恵をしぼっています。H美ちゃんは一人で部屋にたたずみあれこれ発振していて、K子ちゃんは居間兼仕事場の部屋でゴロゴロしながらブツブツ言っています(笑…きっとこれが彼女の方法かな)。私は大塚と大磯の幸子展のあれこれをしながら、電話を下さった方と話したり、ご飯炊いたり、ジャガイモとグルテンと、トマトのシチュー(なのかな…初めて作るものなんで)を作りながら、こうして『日々の翔太』の書き込みをしたりしています。10月31日と11月1日は大塚と大磯の開催が重なるなァなんて思っています。
 あっ、今もう一回シチューに火を入れに行ったのですけどね。

 お店出すのは…お金があれば出すことはできます(その資金なんてないんですけど…)。ただ、それを円滑に循環して社会の役に立ち、その上で自分たちも必要な分だけ潤う…これが難しいと思い、どういう風にしたらいいか、あれこれ考えてしまっています。もちろん今までに御迷惑かけてしまい、寛大な心でいてくださる方々にこんなこと(お店のこと)考えているなんて怒られていまいそうなんですけど…。
 確かに昨年12月の足立所長の講演から長いのですが抜粋します。
『気づいて発見して、決心実行するのには勇気が必要です。
 反対されるかも知れない、あるいは受け入れてもらえないかも知れない、バカにされてしまうかも知れない…でも、勇気を持って…初めての体験です。発見・気づきです。
 推理・推測ではないのです。ですから、勇気を持って実行することが大切です。

 ただ、顕在意識で心配・不安を持つ事は、実行するなら持たないことです。心配・不安というのは疑っていることです。
 本当に素直に謙虚に受け入れて決心実行されたら、心配も不安もなくなります。心配も不安もしないのです。心配や不安をしなければしないほど実現します。確実に短期間で。

 時間がかかる場合は、心配をして不安になって、これを繰り返すと自分で自分の心に疑いを持っている状態です。
 こういう状態は、自分自身が低い振動波を発振して、疑ったためにですね…受け入れて同調する…ずれてしまえば実現しなくなります。

 実践をする心構えとしては、根気よく、あきらめない…自然の法則で、直観やひらめきで入ってきたものは絶対に裏切られません。実行すると決心したら…。

 そして、起きている現象はメッセージですが、メッセージが何であるかわからない場合、もしくは受け取れない場合…あるいは、自分の役割が何であるかわからない、その役割をどうしたら…という、みなさんがたくさんいらっしゃいます。

 これは生まれて…生きていることがですね、自分の役割を発見してそれを実行する。これが自然のしくみとは何かを学んで成長するそのものに繋がるわけです。
 自分の本来の役割は何かを見つけるためには、素直に謙虚に今出来る事に最善を尽くすことです。無理はしないのです。

 使命感…肩に力を入れた使命感、これは自我です。
使命感というのは決して深い意味での調和につながりません。それは自我の変形した振動波です。
 役割を自分で強く持ちすぎた場合、素直に謙虚にという精妙な振動波を受け取れなくなります。

 ですから、[素直に謙虚に根気よくあきらめない]。
そして、メッセージを受け止められない、内容がよくわからないけど、でもなんかこれはメッセージだとそういうふうに思ったら、『メッセージありがとうございます』という意識を心に持って、『気づいたら必ず決心して実行します』という意識を発振しておくのです。

 みなさんにはサポートしてくれているエクサピーコさんがたくさんいらっしゃいます。
 サポートしてくれているエクピーコさんにそういう意識を発振すれば、そうしたエクサピーコさんが協力してくれます。

 自分のエクサピーコさんが成長するにしたがって、大きくたくさん数が増えて、高い振動波の方が協力をしています。
 その状態は、少し勇気を持って決心をした後は…少し勇気を持って、根気よくあきらめない。そして実行し続ける。
 これによって必ず実現します。遅れても必ず実現します。

 時空のしくみというのは、常にそういう状態で、全ての存在がメッセージを送り続けてくれて、体験させて頂いて、そして気づいて成長するということにつながっています。』

 …まず、決心することが先ですよね。出来ない理由を探すのではなく、どうしたら出来るのかという視点でプログラムしてみます。

           只野翔太とそのエハピーコ

 

 

2003/9/7(日)
■ 訂正

 先日の書き込みの元時計屋さんは、そのうちに競売にかけられてしまうそうです。
 でも、ショップを…というきっかけを作ってくれたことに感謝です。
 それと、佳子ちゃんと久美ちゃんにけしかけられてお店を…というふうに書いてしまいましたが、ずっと前から私自身がやりたいことにひとつでした。いきおいでそういう表現になってしまいました。
 これに限らず、私自身かなり勘違いをしていたり、感情で書き込んでしまうことも、未熟なもので多々あるかと思います。その時は私自身すぐに受け入れられない時もあるかと思いますが、みなさんの御意見をいただけますとありがたく思います。よろしくお願いします。

 

2003/9/7(日)
■ 福島

 郡山の五十嵐さん夫妻と原町の須藤さんが喜多方に遊びにきてくれました。喜多方市内が見渡せる金澤峠にある雄国沼湿原に行きました。湿原は小瀬が有名ですが、行った事ありません。初めて湿原に行きました。板の道を歩いて周り、皆ですわりこんで楽しいひと時を過ごしました。
 しばらくすると霧に囲まれて(こういうのは東京生まれの私は初めて)しまいましたが、頭上にポッカリと雲の穴がありました。
 その山道を五十嵐さんの車が先導して、私達のは久美ちゃんが運転していました。そして『どこまで行くのか?いつまで走るのかわからない』といういつかどこかで誰かさんがやったことを久美ちゃんは体験していました。(地に足…)少しわかったみたいです。

 この後、会津若松の美術館で発掘福島と題した縄文時代の発掘物の展示を見に行こうと思ったのですが、入り口まで行ったら、もう終了していて、野口英世のいわくの喫茶店でみんなでお茶をしました。
 五十嵐さんや須藤さんは大人でした…(何ですかね、この失礼な文章は)日々の過ごし方についてあれこれ言っていると、『人はみんな違うんだよ、私なんか結婚した当時、毎日(奥さんが)お風呂に入るというので驚いたんだよ』と、五十嵐さんのカルチャーショックぶりを話してくれました。何人かの人が集まるとそれぞれみな違うというのを頭ではわかっていたつもりでも、生理的に受け入れられないこととかあります。

 例えば…秋吉君と4年前にいた時の話ですが、只野家では普通におならをします。外出先とかじゃしませんが、家の中では自然な光景でした。でも秋吉君はそれがイヤだったみたいです。でもおならは自然なことなのに、わざわざタバコを吸って空気をくさくすることあお彼はするのです。そして最初は『タバコはもう吸いません』と言うので、仕方なく一緒に東京に住むことにしたのですが、それもままならず、『換気扇のそばで吸わせてください』と…。これがまた、換気扇とかモーター音は極力嫌いな私です。いつも消し忘れる秋吉君がいました。さらに、普通に食事を作ると…生活するのに料理を作るのは当たり前と思うのですが、そのにおいがイヤだと言います。困ったことでした。
 よくよく考えれば、その時よりは久美ちゃんと佳子ちゃんとの生活の方がはるかに自然に思えます。
 さらに秋吉君は、家の中をカビさせるつもりだったのか、お風呂のドアをわざと(不意にではなく)開けっ放しだったり、夜に風呂に入ろうとしてお湯を朝まで流し続けていたりしていました。(ただし、まだそこまでのことは喜多方で起こっていませんが、佳子ちゃんは大阪の自宅でガスコンロの消し忘れがよくあったそうです…不安)朝方、水の流れる音で目が覚めると、驚いたものです。そしてそれを注意すると『(怒りながら)じゃあ、僕が翔太さんより多く料金を支払いますから!』と言うのだが、そういう問題じゃないでしょう…という事があったのも、懐かしく思います。

 とにかく違う人間を心から受け入れるって難しい!数年前に卓朗さんが言っていた『こんちくしょうありがとう』を思い出しました。でも、お互いそうなんでしょうね。
 五十嵐さんが言う、『相手の人は自分の10%増しでガマンしているって思えばいいんだよ』。まるで子供の喧嘩です。
 だんだん、最初のテーマの日曜日からはずれてしまいましたが、こういうのを繰り返していくと色々みえてくるのかもしれませんね。

 

2003/9/8(月)
■ 市議会観覧

 議員の渡部さんが質疑する時間があるというので、二人にも紹介したいと思って、三人で行きました。朝から会津地方はバタバタしていて『会津産のお米にアメリカ産を混入』という事件の対応で議会が大荒れで10時の予定が午後2時になってしまいました。こういう場は三人とも初めてで、ちょっとした社会見学のようでした。
 議員の人もそれぞれ個性ある方だと思いました。ただ、難癖つけるわけではないのですが、あまりにも時間がかかり過ぎる…ある議員さんは、議長から『質問内容は簡潔に』と言われてしまう…ただでさえ時間の使い方が無駄のような気がするのに、何か自分の議員としての何たるかをアピールする場のようにしているのか…。もちろんそういう方ばかりではないと思いますし、また、そういう表現方法をとるのが議会なのかも知れません。国会もそうなんですかね…。偉そうなこと書いてしまい、申し訳ありません。

 

2003/9/9(火)
■ 隣のおばあさんが

 朝8時に地域の班長の菊池さんがやってきました。ちょうど風呂に入っていたところだったのですが、何かあったのかと思いました。
 しばらくすると、再び菊池さんが現れて『佐藤さんのおばあさんが亡くなった』と告げました。この地域(喜多方市)はその近所がお葬式全体を手伝うということです。私もとりあえず向かいました。だいたい、こういう時どうするのかもわからないのですが、近所の人がほとんどいます。会社もみなさんお休みするようです。
 段取りを話し合い(私はもちろん聞いているだけですよ)、それぞれ皆動きます。私も菊池さんが死亡届や火葬許可をとりに行くと言うので、ついていきました。そして福祉の部署を周り、小学校へ故人の希望通り寄付をして戻って着ました。
 午後に入り女性陣は家の中で料理を始め、男性陣は車庫で(何で車庫?)天ぷらを作り始めました。男の人が天ぷらをつくるのが特徴みたいです。こんな暑いんじゃビールでも飲まないとやってらんねぃ~というオジサンの願いが適ったかのように、ビールが出てきました。(笑)
 夕方になり、家の中で食事をして、今日は終わりです。
 明日に続く

 

2003/9/10(水)
■ 昨日の続き

 1時から告別式なのですが、朝7時前に集まりました。何をするかと言いますと、皆でご飯を食べました。そして…驚いたのですが、赤飯なのです!今までの私の常識(あってないようなものなのですが)では考えられません。基本的にめでたい席でのものだと思っていましたから…。そして今日の昼の分の天ぷらを揚げると、少し時間があるようでしたので、家に戻りうとうとしていると呼びにきてくれました。
 告別式中は私は他の二人の人と一緒に、お香典の中身の確認と計算、そして記帳…っていうんですか、筆ペンで清書する仕事をしていました。
 午後2時に出棺し、再び寛いでいました。
 この岩月町(治里)地域は有史以前より人が住んでいたそうです。縄文(か弥生)の土器とかが発掘されたりしていたそうです。川が流れ、昔からきっと稲作がされていたのでしょうね。そのわりに言い伝えとかがほとんどないようなので、きっと平和な地域だったのかも知れません。
 
 4時半にバスが来て食事会の会場まで行きました。急遽来たバスは…驚いたのですが、まァ合理的と言えば合理的なのですが、バスに棺桶が置けるようになっていて(中には誰もいないのですが)ちょっと『頼むよ~(笑)』という感じでした。
 郷土料理の『小づゆ』がこちらでも出ましたが、隣のお宅で近所のお母さん方が作ったの方が美味しかったです。醤油つゆにサトイモ、にんじん、こんにゃく、インゲンなどが入り、ホタテの貝柱でだしをとっているというような(想像)もので、薄めの椀で(お猪口より大きく、お椀より小さい)頂くもののようです。お向かいのだんなさんは『会館で出た小づゆがうまい』と言うのですが、私は近所の人が作った方が美味しかったです。本当にね。
 昨日と今日、いい社会勉強になりました。

 

2003/9/14(日)
■ 動画

 安藤佳子さんが頑張ってくれて、幸子さんの写真や幸子さんに生前ご縁のあった方のお話しなどの動画や、各地でのエンゼル・サチ展の様子などもHP上でご覧いただけるようになりました。
 今後、各地での個展のレポートも増えていく予定です。また、『○○でやった時の写真とかあるから掲載して~』という提案などございましたら、FALF&ARUT LaPLAYHMまで御連絡ください。お待ちしております。

 

2003/9/14(日)
■ 突然の唐橋さん

 K子ちゃん、H美ちゃんが桧原湖にあるハーブショップへ行きひとりでいました…頭が痛かったので一日の半分を眠ってしまったのですが、夕方少し色々なHPを調べていたら、唐橋さんから電話がありました。
 『実家…喜多方に来ているから、ちょっと寄るよ。30分後にね』って、そういう事で唐橋さんがこのLaPLAYHM屋敷(笑)を訪れました。実は昨日、卓朗さんからお電話を頂き、唐橋さんのことを話していた、その翌日だったので驚きです。唐橋さんはきっと新しい形の幼児教育(…って言っていいのだろうか???)を実践される方だな…(偉そうですね、私)と思いました。もしかして、久美ちゃんもいつか何らかの形で一緒にそうした事業をしていくのかも知れませんね。(あくまで僕の主観ですがね)

 

2003/9/15(月)
■ 火星を見た!

 今日は十五夜。喜多方に来てから、夜雨の日や、曇りの日が多くて空をなかなか見れなかったのですが、今夜望遠鏡で火星を見ました!!!180倍のレンズなので、ただただ赤く光っているだけで、火星の人面岩なんて見えやしない(当たり前だよ~)!
 でも、なんかレンズを覗き込んでいるとワクワクする。キチンとした使い方なんてもちろん読まないし、星の名前さえもわからないのですが…。
 ちなみに火星は、ウルトラマンティガ~ウルトラマンダイナの世界において物語の舞台となります。ティガの主役だったダイゴ隊員は(V6の長野博)ダイナの最終回に登場して、火星を人が住める星になるための研究(主に植物)をするチームの一員として出てきます。
 ダイナにゲスト出演時は、レナ隊員と結婚して、光ちゃんという娘が登場します。そして、ダイナであるアス
カ隊員の問いに応える。『あの子供たちや、あのまた子供たちがこの火星で暮らせたら…と思って』(大方、このような意味の台詞)と言うのです。
 ちなみにウルトラマンダイナは第一話で火星で登場します。(ここまではウルトラマンの世界の話ですよ)
 
 真地球の歴史の表によりますと、プレアデス星団のセラエノという星とその他の星から移住してきた文化が火星みたいですよね。

 

2003/9/16(火)
■ 横浜のHさん

 神奈川県横浜市港南区のHさんのお宅に今日、SIEPONEVHAが到着します。平川さんのお宅のそばには高圧線がたくさんある地域なので、以前は『引越しを…』と考えられた事もあったそうですが、地域をよりよい環境にされる方向に意識変換されたそうです。
 私も以前の神奈川県全域での営業の仕事を97~98年にしていたのですが、神奈川は確かに高圧線があちこちにあります。実際にHさんの近くもよく通りかかっていました。その頃は車のトランクにSIEPONEVHAを乗せていました。(笑)だって、人と話したりするのに心地よい環境の方がなんかいいですよね。
 …Hさん、これからもよろしくお願いします。お嬢さんのアトピーも改善していくといいですよね。

 

2003/9/16(火)

■ 10月完成を目指しています


 本当は『完成』するのはもっと先になると思うのですが、LaPLAYHMのホームページ上に環境調整用のオブジェ(FALF)の地図を作りたいと思っています。
 『私のところにもスィエポンエヴァべインフロウグあるよ!』という方はこちらまで連絡ください。郵送、電話、FAX、手旗信号、モールス信号などの方法で結構なのですが、このコーナーをご覧になっている方はメールが出来るかと思いますので、FALF&Art LaPLAYHMまで送信してください。お待ちしています。あと、『こんなふうにしたら面白いんじゃないの?!!!』というようなアイディアなどございましたら御一報ください。お待ちしています。

 

2003/9/16(火)
■ 胎児から幼児まで

 10月31日(金)~11月4日(火)まで、大磯の安部尚美さんのお家で『なにがみえるかな?』の原画展を…と案内を作ってもらっていたりしたのですが、安部さんの直観でFETUS(胎児のための絵本)の原画を意飾りたいと思っていたようです。安部さんは実は『FETUS』のことはあまり知らなかったそうですが、FETUSときてしまったみたいです(笑)。

 閑話休題…以前、1999年に桜井さん、江嶋さん、吉田さん、そして安部さんで横浜の日本丸という展示されている船の近くで、足立幸子さんの講演ビデオ上映会や足立卓朗氏のお話し会を主催したことがあります。卓朗さんもその事を覚えていたみたいです。

 時間と空間は今の地球では分離して表現されているみたいですが、こうしてクリエーションとなりますと、機能のように鮮明に思い出されます。

 結局、同時にFETUSとなにがみえるかなと二つの絵本の原画展を行うことになりました。

 

2003/9/16(火)
■ さっき

 今から一時間くらい前に、『日々の翔太』の書き込みでFALF地図を~と書き込んだのですが、速攻、栗田さんから『自宅にありますよ~』というメールが届きました。
 こういう報告をひとつひとつ書くつもりではないのですが、最初のメールだったので嬉しくって書いちゃいました。(こんな事を書いていると、大川さんから『うちの工場にはスィエポンとベインたくさんと、とフロウグが3000台くらいあるよ』というメールが届きそうですね)

 

2003/9/20(土)
■ 講演録ダウンロード


  足立育朗氏の講演録のダウンロードがもうすぐ出来るようになります。これは逗子で二日間続けて行われた講演の二日目の内容なのですが、当日ビデオカメラで収録をしていたのですが、朝から体調が悪くビデオを仕掛けてそのまま眠っていました。(本当に具合悪かったのです)
 お話の中盤くらいに目が覚めて、痛くて痛くてたまらなかった頭も元に戻り(と言っても、頭の悪さは変わりませんが)会場に顔を出すと、ビデオカメラの向きが変わっていて(実際には1~2分間)、あわてて向きを変えました。
 もう、このマスターテープはどこかへ行ってしまいました。…編集・ダビングなどを頼んでいた人がどうにかしちゃったみたいなので、『探してよ』と言われても、無理なんですが…。でも、500本くらい(根拠ないんですが)販売されたかと思いますので、…と言っても初期のものと後期のものでは編集で多少変わってしまったようなので、初期の方がいいかと思うのですが、ご覧になれるといいですよね。
 初期のビデオには私のドジによる画像(カメラの向きが変わっているシーン)もお楽しみいただけます。
 実は私も今はこのテープは手元にありません。もしお持ちの方は貸してください。YOYOさんから発売していた『波動を上げる生活』です。
 約170ページの内容ですが、感覚としては『通信販売の無料のもの』という感じで受け取って頂ければと思います。ダウンロードの際に『お名前、住所、電話番号など』を登録していただく方式です。もちろん、どこかに個人情報が流出するというような事はございません。無料の通販と受け取って下されば幸いです。
 登録後IDとパスワードが届くという形です。現在(と言っても今は朝の6時前だから、寝ているはずだけど)安藤佳子さんがそのプログラムを作ってくれています。もうしばらくお待ちください。
( 波動を上げる生活(1994年足立育朗氏講演会)

 

2003/9/21(日)
■ 雨だけど

 この喜多方に来て…三人でドタバタしていたのですが、『やっぱり本質の追究をしていこう』と、みんなでなった時でした。何度も断念(それぞれ三人が)しそうになって、ああ、もう今回はダメだなと思ったのですが、やっぱりみんなでクリエーションしていこうよ!と三人で思ったのでした。
 そんなんで10月に送るニュースレターを作っていたら、『ごめんくださ~い』と玄関から声が聞こえました。ヤマト運輸はさっき来たし、この雨の中、いったい誰だろう?と思いながら、出てみますと福島市の唐橋さんが立っていました。柔らかな笑顔で、『みんなは虫好き~?』という…(報道規制?がかかりましたのでカットします)ちなみに久美ちゃんは虫が嫌いなようで、蝶が家の中に飛んでいてもダメななようです。
 

 唐橋さんは今日は奥さんもいらっしゃっていて、その後唐橋さんの車の後を追いかけて唐橋さんのお父さんの家にお邪魔しました。
 唐橋さんのお父さんは唐橋東(あずま)さんという…以前に喜多方市の市長をされていた方です。唐橋さんは冗談で『冬、寒かったらこの家に避難(笑)しなさい』と言っていたのです。でも、『お父さんとお母さんしかいない家だけど、遊びに来てください』と、御両親さまにも親切にして頂きまして、楽しいひと時でした。

 

2003/9/22(月)
■ 喜多方FM

 今日は喜多方の紹介のHPを作っている安達新さんにお会いして『FM喜多方の小田切さんを訪ねるといいんじゃない?』と言われ、速攻、スタジオに向かいました。
 FM喜多方のステーションの皆さん、突然の訪問を受け入れて下さりありがとうございました。取締役の小田切さんは…ひょんなことから『UFOが好き』というお話になり、思わず・・・93年ころのUFOを見た話しをぶちかましてしまいました。(初対面だったのに)若干の後悔とまあいいやという開き直りで楽しいひと時を過ぎごせました。

 『現在、女性ふたりと共同生活をしているんですが…』と話すと、うらやましいと同席されていた方は仰っていたのですが、恋人でもパートナーでもない人と一緒にいるのは、目的が一緒でも、…そりゃ大変ですよ。(でもみんなそれぞれにですねどね)

 帰りの車の中でFM喜多方の放送を聴いていました。7月の終わりに東京から喜多方にやってきてはや二ヶ月経ちました。夏は過ぎて今日は寒いですね。放送でDJ遠藤さんが『今夜は10℃に…』と言われていたのですが、今夜は寒くなりそうですね。東京では11月の気候ですよね。ただ、東京でもどこでも冬はどうせ寒いし、ヨーロッパとかでは氷のホテルを作って、氷の部屋、ベットで一晩過ごすなんていう『寒さを楽しむ』というのがされているというテレビを見ました。先程も唐橋さんに『寒さを楽しんで』というお話しがありました。
 最低気温10℃はまだ『寒い』ではなく『涼しい』ですよね。最高気温が10℃ならばまだしも…。喜多方は布団の中が気持ちいい季節になりました。

 

2003/9/25(木)
■ 火星は移住された星

 『真 地球の歴史』の表には、太陽系の星のそれぞれが他の星座からの移住によってできた(もしくは融合された)文化という事を示しているように思います。
 今年は火星の接近で話題となっていますが、真偽はともかくとしまして、『火星で始まり、火星で終わる』ウルトラマンダイナをよかったらレンタルビデオ屋で探してみてください。本編が13本、中盤のストーリーとなる映画が1本、テレビ放送終了後につくられたオリジナルビデオが1本(47話以降、49話以前の話として作られています)そして本編の最終巻(13巻、49~51話)と重なるのですが、『ダイナスペシャル』という最終章のディレクターズ版があります。これは放送の時間枠のためテレビ放送できなかったシーンとかを加えた、本当の最終回です。ですから13巻を見るよりこのスペシャルを見た方がいいのですが…。

 何はともあれ、かなりいいと思います。但し、ウルトラマンティガの後番組だったため、比較されてしまうと『ティガがいい!』とみなさんなってしまうのですが…。本当はティガと合わせて見るといいですよ。
 ちょっと最終回(もしくはダイナスペシャル)のダイゴとアスカ隊員の白眉のシーンを…。

 

2003/9/25(木)
■ ウルトラマンダイナ最終回のダイゴとアスカ隊員の会話より…

  ウルトラマンダイナ最終回で火星のバイオパークの研究員として活躍しているダイゴとアスカ隊員の会話より…

アスカ『おかげで命拾いしました』
ダイゴ『お互い様だよ。僕達も…二度もこの星(火星)を守って貰った』
アスカ『えっ?まァ。(話しを誤魔化すかのように)きれいですね(お花が)、凄く』
ダイゴ『ほとんどが地球産(の植物)だけど、この星で生まれた種子もある。まだ実を結んだのは僅かだけど、いつかこの星を“火星生まれの花”でいっぱいに出来たらって思って…』

 そこに妻・レナと娘・光がバイオパークに入ってくる。『ママ~』『光、見てこんなきれいなお花咲いてるよ』光を抱きかかえて花に近づけるレナ、そしてそれを見ているダイゴとアスカ。『いい匂い』

ダイゴ『そこであの子達が…また、その子供達が遊べたらって…』
アスカ『あの…ダイゴさんはなぜ前線(GUTSの最前線)を離れたんですか?』
ダイゴ『守るべき未来は、人それぞれにきっとあるはずだから。(上空に来たガッツシャドーを見上げて)君の仲間が迎えに来た、さっき連絡がとれたんだ』
アスカ『あの、俺まだ色々聞きたいことが…』
ダイゴ『僕も…君と同じ(ウルトラマン)だった。なぜ闘うのか?自分は何者なのか?誰かにその答えを教えてほしかった』
アスカ『ダイゴさん…』
ダイゴ『でも最後は“自分で出さなきゃならない答え”もある。人として出来ること、それは自分自身で決めるしかないんだ』

 

2003/9/25(木)
■ IP電話

  遅くなってしまいましたが、こちらではぷららのIP電話を利用しています。そのために私どもからの発信が『非通知』となってしまっています。ナンバーディスプレーを使っているみなさん『非通知お断り』の設定をされているとお電話がつながりません。よろしくお願いします。

 IP電話同士ですと通話料がかかりませんよね。お互い助かりますね。
 このぷららのADSLを説明してくれたのが、いつぞやのこのコーナーで書いてしまった、NTT-ME福島のNさんです。詳しいことはうまくいえないのですが、彼女の話ですと『NTTの請求と一緒』に出来るそうです。あれこれ色々あるとこんがらがるので有難いです。

 

2003/9/25(木)
■ 車庫証明

 今日、やっと車庫証明を取りに行けた。長い道のりでした。福島の陸運局に来週行かないと…。

 

2003/9/26(金)
■ 北海道の地震

 山間の集落なので、テレビ電波が弱いのでテレビはぜんぜん見てません…もっぱら報道による情報はインターネットになってしまうのですが…。
 北海道で地震があったみたいですね。みなさん大丈夫でしょうか…。

 

2003/9/27(土)
■ 足立さんの講演会のビデオ届きました

 東京にお住まいのEさん(名前出していいのかな?)から4種類の足立育朗さんの講演ビデオとカセットテープを頂きました。
 
 今(27日19時32分)、見ているんですが、よく考えますとこの5種類のテープの講演会はすべて現場にいました。(笑)
 94年の『波動を上げる生活』はもうひとりのスタッフと一緒にビデオ撮りしてましたし、これを森眞由美さんがテープお越しして加筆修正したのが『波動の法則』みたいです。当日朝から死にそうなくらいに(笑)頭痛くて、寝込んでいたのですが、なんとか会場準備やみなさんをお迎えして、ビデオセットし、もうダウンです。その後、2巻の10分くらいの時まで会場の2階で寝ていて、会場に降りてきたらビデオの向きが変わっていて大急ぎで直しました。
 でも、その黒い本棚を映していたシーンにとても大切な情報があるみたいです。(言葉とかじゃないんですが)ちなみにこのビデオのマスターはダビングを頼んでいた業者がなくしてしまったそうです。しかも頂いたこのテープは初期のものできちんとその空白のシーンが収録されているのです。しかし、後半に発売されていた製品には業者の方で勝手にカットされダビングされていたのです。ですから…多分、YOYOさんにもマスターはないし、初期の製品となったビデオもないんじゃないかと思います。とりあえず私どもでDVDにコピーをしておきます。まさか『波動を上げる生活』のビデオでも、この初期のものが届くとは思っていませんでした。
 
 翌95年に大井まちのきゅりあんで行われた『地球に集う魂ー今進むべき道』…すごいタイトルですよね、これは当時YOYOのスタッフだった米原君が決めたタイトルです。

 そして、98年の地球大学主催の虎ノ門ホールのもの…全国から色々な方が来てました。この日に初めてお会いした方がたくさんいました。講演会場では足立さんはとても苦しそうでした。
 
 昨年12月に新宿で行われました『波動の法則の実践』は未来さんから『会場の手伝いできる人を10人くらいいない?』と言われ、何人かに声を掛けて、会場でうろうろしてました。

 カセットテープの98年7月のつくばノバホール…この日は講演の最中、ロビーで友達とずっと話していました。何しにつくばまで行ったんだろう?って感じですね。
 
 とにかく役に立てる形で活かさせていただきます。ありがとうございました。何かいつかお礼させていただきたいと思っています。本当にお金とかなにもないんで(笑)期待せずにいてください。LaPLAYHMのスタッフと一緒に見ています。ありがとうございました、Eさん。

 

2003/9/29(月)
■ 九月もおしまいです

 虫の声が夜の帳に幾重にも重なっていくシンフォニー。家の中の空気がひんやりする夜が好きです。
 東京にまだいたら…今日も夏日だったと思う(最高気温が25℃以上)最終電車に乗っても空気が湿ってなんとなく気分が悪くなっている頃かもしれない。
 あたりの田んぼは刈り取りが始まっています。ところどころ藁が束ねられた…祭りのあとの静けさと似ている。
 大家の斉藤さんが昨日栽培していた枝豆を収穫しに来て、おすそ分けで頂きました。茹で上げた枝豆はトウモロコシのように甘い…。少し隙間の出来た庭先の畑に穴を掘り、野菜くずを埋め、その上に刈られた草を、そして土を被せて。来年何か育てられるといいなァ。
 スタッフの拾ってきた栗はまだイガのまま。どうやって実を取り出すのだろう?この近くの山々にキノコも自生しているみたいだから探しにいけると良いのだけど…。
 今はこの秋の夜の風情を楽しんでいます。

CopyRight©  FALF & ARUT La PLAYHM  
All rights reserved 2005-2008

〒329-2161栃木県矢板市扇町二丁目1519-53
TEL&FAX 0287-44-3155
(できるだけ携帯にかけて下さい 090-9680-8590)

前のページに戻る
通信販売法に関する法律に基づく表示