保険にはダイヤモンドの輝きもなければ、
パソコンの便利さもありません。
けれど目に見えぬこの商品には、
人の血が通っています。
人間の未来への切ない望みが
こめられています。
愛情をお金であかなうことはできません。
けれどお金に、
愛情をこめることはできます、
生命をふきこむことはできます。
もし愛する人のために、
お金が使われるなら。
日○生○
この詩の後半、『愛する人』を『調和』に置き換えると面白い。前半は…読まなくてもいいんじゃないの(笑)。
本来、何事においても保険をかけるというのは、人や社会(自分たちが作った社会だけど)を信頼することができないから存在するもの。裏づけ・確証…拙い自分の顕在意識(脳神経細胞)を納得させるようなもの。相手を信頼しない(自分のことをも信頼していない)、だから必要と思ってしまうものなので、本質的あんまり(本当はまったく)必要じゃないですよね。
この日○生○の広告のポエムは、ちょっと見る角度を変えると『お金の本質』に気付くヒントが隠されていました。
お金も人間が作り出してきたもの(概念・エネルギー)ですが、使う人が本質に気付くと、本来の調和のとれた方向へ変換するためのエネルギーになります。
この詩のいう「人間の未来への切ない望み」というのは、この詩…(保険の広告)場合、自分(もしくは自分の家族だけ)が安全にといった自我と欲のことですが、意識変換された方ならばもっと大きな希望を見出だすこともできます。
結構身の周りにある文章などもこのようにちょっと変えて読むと面白いですね。
|