昔の友達 『矢那ちゃんならまだ、全然食えるジャン、業界で(音楽プロデゥサーとして)』
たかし 『食うために音楽業界にいたわけじゃないですから…食えれば何でもいいっていう考え方なら、きっと僕会社辞めてなかったと思います。』
『食うために働きたくないからこそ、食うために働くのがいかに大変か、一度経験した方がいいかなと思って。うちもカツカツなんですよ、今。でもお金じゃ買えないものはたくさん持っています。夢とか家族とかプライドとか。そういうものは一度手を離したらお金じゃ買えないんですよ。』
『 俯瞰で観たら、僕(郵便局員になっている)もあなた(ブルセラショップをやっている)も大差ないんですから。でもこれだけは言わせて下さい、奥さんや生まれて来る子供が悲しみようなことはしちゃダメですよ、絶対。』
6月15日の放送のセリフからです。
僕も避けて来たところですから…たかし君に共感します(笑)。ひとりの時は『死んだら死んだでいいかな、出来ることをしていてボディを失ったらそれもよし』と思えたのです。
生きる(正存)ということ、生活をするということ。これと本質的に生きるというのはまったく違うことかと思います。前者の生活をするというのは、動物が死なないために植物や他の動物を食べるということと等しい。そのため(人間の社会ならば、お金を得る)ならば、何をしてもいいというのに近い状況が蔓延してそうで怖いですよね(笑)。
本質的の方の生きるは、地球のこと、宇宙のこと、そこに存在している自分(たち)を意識して生きることだと思います。でも、今の地球だとそれだけだと生きること(この場合、生存すること)が難しいので、バランスとるしかないのかも知れません。僕は間違いなくアンバランスです(笑)。
ひとりの時は調和とかそういうことだけ、それで大変(金銭的に)ならばまあいいかなんですけれど、これから生活のこととかも考えないとならないのかな。それも楽しみながら出来るといいな。
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