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*  2005年 9月 *



ニュースレター

2005年 9月


 那須塩原市の助産院・ままと赤ちゃんの家に行ってきました。助産師であり主宰者の武藤さんはとても話しやすくさばけていて、はつらつとしていて素敵な人でした。お子さんが四人いて、一番上の子が15歳といいうことだったので、思わず年齢を聞いてしまいました。40代ということですが、もっと若く感じました。
  いろいろとバタバタしていて、助産院を探せなかったのですが、やっといいところが見つかりました。
 最初は(伺って話を聞くまでは)しほは自宅出産したいと言ってたのですが、 武藤先生に会って彼女と話しをしていたら、自宅じゃなくてもここ(ままと赤ちゃんの家)で産みたいと思うようで…。今の家から1時間以上かかるのですが、武藤先生の話しだと、『陣痛が始まってから…沖縄往復もできるわよ』という。これはちょっと大げさかもしれないし、わざわざ沖縄は行かないと思うけど。

 武藤先生は4人のお子さんを、三人までを助産院で、四人目を病院で産んだそうです。病院で産むというのはどういうことかを体験したかったらしい。(まあ、凄すぎる!)陣痛促進剤を使われるとどうなるかとか…自分の身を持って体験(わざわざするか?普通)したかったみたい。
 とにかく、とてもこの辺ではさばけている人だったので、どちらの出身ですかと訊ねると山形だということでした。この地域の人は自分の意見を言わない人が多いみたいです。(人からどう思われるか?とビクビクしながら生きてる人が多いのか?)
 でも、栃木でほぼ一軒の助産院みたいで、とてもいい方でよかったと思ってます。
 自然のリズムで子供には生まれてほしいし、自分で本当に調和の方向を見出せていけるような人間に育ってほしいから、その一歩を一緒に手伝ってもらいたいと思いました。

 その夜中に目が覚めて考えてた。昨日の武藤先生が言ってた『40過ぎると“死”を考えるものなのよ』と。
 今は37だけど、もうすぐじゃない(笑)。彼女が言った“死を考える”とは、後ろ向きなものではないと思う。『いかに死ぬか』ということだ。言い換えれば『どう生きるか』だ。

 そんなことを考えていたら、朝方4時を回ってしまいました。今までは変な意味ではなくて、『自分が死にそうになったら、人に迷惑をかけるのも(葬儀やその他のこと介護なども)いやだし、生きているうちにどこかの山奥にでも埋めてもらいたい(←おいおい!)』くらいに思ってた。現実的には法律うんぬんで無理かもしれないけど、そのくらいの勢いという意味で受け取ってください(笑)。
 でも、今パートナーのしほがいて、彼女のお腹の中には子供がいる。…長く(と言っても普通にね)一緒に過ごしたいという思い(これも欲でしょ・笑)も出て来た。
  家のことで借りるか、買うのがいいかで昼間はしほと意見が分かれたけど、ワガママ言ってしまったが、これから一緒に生きて行くパートナーであり、小さい体の中に子供を育んでくれているしほの寝顔を夜の部屋明かりの中で見ていた。ありがたい。なんていいヤツなんだとつくづく思う。
 
 時々、長く生きていたい(例.100歳までとか)というような願望を持っている人がいますよね。でも、何のためにそんなに生きたいのか?そういう方向で『死と向き合う』のではなくて、いかに死ぬか(生きるか)が重要なのかと思います。生きている間に何をするか?…もちろん調和の方向でというのが大前提かと思うんですけどね(笑)。死ぬのが怖いとか…そういうレベルのことではなくて。
 ワンピースの中では『死ぬ覚悟より、生きる覚悟』なんて言ってますけどね。世の中には『長く生きてしまうといけない人』が多いはず(笑)。自分で長く生きたいと思っている人は、よほど調和のとれた人か、思い切り不調和で自我の強い人かどちらかですよね。間違いない!(笑)
 
  ままと赤ちゃんの家の武藤さんの言葉がこんなに考えるとは思わなかった。40代以上の人はそんなことを考えているんだろうか?大事なことではある。
  ちなみにしほの母親は『すべてのシガラミから抜けて瞑想のような老後を過ごしたい』と手紙に書かれていた。自分(私の)の母親は、子供たちに迷惑かけたくないから、死んだら海に散骨してほしいって言ってた。それぞれの親の気持ちはとてもよくわかります。自分もそういうことを考える日が来るのかな?ちょっとは考えているけどね(笑)。

 以前にある方が言っていた。『親になる(子供が生まれる)といういことは、親に感謝するということを実体験するということですね』と。 今、少しその実体験をしほと一緒にさせてもらっています。
  ネィティヴのアメリカインディアンが6世代か7世代先のことを考えて行動するように、親になるということは、子供やまだまだ先の話だけど、孫のことを考えて『どういう行動をとったらいいか考えて生きる』というような気がします。
 地球や環境…すべてのものなどは、未来に生きる人(…動物や植物、すべての存在なんですけど)達から、私たちは借りているわけですよね。それをいかに歪めないで残して行くことが出来るか…。

 結婚・出産などを体験したのに、子供のことを自分の視点でしか考えられない生き方は勿体無い。(というか、可愛そう)
 体験しても学べないというのは意味がないですよね。僕はそんなに学び好き(学ぶための学びは好きじゃない)ではないけど、せっかくの体験なので、親に感謝するということも、子供が生まれて、子供と一緒に暮らしていく中で『親に感謝する』ということも体験していきたいです。
 
 母親にしても(父親は20の頃に亡くなってます)、この数年でとても変わってきたみたいだし、人は変わって行くものだから(ああ、いい意味でです)。母親も昔は『お金、お金』って、うるさかったんだけど、最近は違う。彼女の顕在意識にとってきつい体験を通して、色々と学んできたみたいだから。
 プロミスかなにかのCMでも歌われている。『忘れな〜いで、お金よ〜りも大切なものがある。 忘れな〜いで、アナタよ〜りも大切なものはない。』って。だったら消費者金融なんて会社をなくせばいいのに!(笑)
 ただ、母親が少し変わってきてくれたことは、彼女の今回の人生においてよかったと思う。親ではあるけど、子供として嬉しい出来事ですよね。
 
 誰もがそうであるように、子供(自分の子供だけという意味じゃなく)たちのことを考えられる人間に少しずつなれたらと思ってます。

 多分、人は生まれた時から人(分類上は人類)ではあるけど、まだまだ人間ではないのだと思う。
 人として生きていく中で、精神的な成長と通して学んで(本質的な学びであり、学校などでは教えてくれない。でも、人によっては学んでしまう) 、人間になっていくのだと思う。
 毎回毎回の人生のなかで、人として生きて(EX、弱肉強食とか思っている人は、動物に近い人生なのか?)、その中で本質が(魂≒エクサピーコ=原子核の集合体のことか)成長していくんでしょう。その目的を忘れそうになってしまうのが、地球の文化、私たちの社会なんでしょうね。


怒ると叱る

 小学生の頃よく父親(お父さん)に叱られていた。大抵は弟を取っ組み合いのけんかをしたことだった。ほぼ毎週一回以上だった。
 でも、お父さんが怒る(おこる)のは理由がわかるし、怒られる=叱られるという意味だった。
 彼は感情で怒る(自分の不満などを家族にぶつける) ようなことはなかった。数回くらいはあったのかも知れないけど、子供の頃からの記憶に残ってないので、多分ないんだと思う。
 だからなのか、怒る(おこる)のは子供のすること…これでけんかなどがある。そして、叱るのが大人のすることというような認識で子供の頃はいた。でも、大人でも怒るような人もいる(まあ、自分も含めてね)と知るのは中学生くらいだったかと思う。

 中学生の時に友達との会話で相手が『怒る(いかる)』という言葉を使った。『いかる』という言葉が示すものがわからなかった。その時に『怒る(いかる)』という言葉の意味を初めて知った。(海の烏賊のことだと思った・本当に)
 人に対して怒った(おこった)ことはそれまでもあったのだけど、怒った(いかった)という経験が自分になかった。 イメージとして、怒る(おこる)は理由があって、怒ることであって、『怒る(いかる)』は怒っている本人がとても感情的になっている状態を示す言葉のような気がした。だから、今も怒る(おこる)ことがあっても、怒る(いかる)ことはないような気がする。
 
 社会の良くない仕組みに対して何なんだと思うことはあるけど、怒る(おこる)ことは(理由があって怒る)あったとしても、怒る(いかる)ことは自分にはないんじゃないかと思う。それは両親の自分が子供の頃の育て方だったのかと思い、感謝です。

 子供同士(兄弟姉妹)に勉強の競争をさせたり、それで頭の良い方を可愛がる両親の話、また親の感情で怒られていた経験がある人。そんな人の子供のことの話と聞かされたりすると、自分は本当に平和に育てられたんだなと思います。でも、反面教師として、子供が育つ場合もあるから、どちらの育て方がいいかとかはわかりませんね。

 


10月に引越しします

 10月9日(予定)に引越しします。6月くらいからの義父とのやりとりはみなさんご存知かと思います(笑)が、離れてスタディするということで一応の解決をしました。妻・しほのお母さんと義父が離婚されてからの20数年間、しほはとても苦しんできたので…きっと過去生とかでもたくさん大変な関係があったのかと思います。
 占星学的に見てもしほと義父との関係はとても大変なようなのです。反対に義父のトラウマみたいなものを僕は解消できるような星の角度を持っているみたいです。僕にとっては…まあ、気にしなければ気にならないそんなタイプです。ただ、一番今大切にしないとならないことは、母体であるしほが安心して子供を生まれる環境(義父から離れること)が一番のポイントです。

 この二人が感謝し合える日は、まだまだ遠いかと思います。今回の人生の中でそうなれれば、それに越したことはないんですが…。人生の目的は(誰もがですけど)自我を少なくしていくこと。そうしたスタディとして家族があるわけですよね。人生の目的は長生きするとかでもないので、『自我が少なくなる』『気づきが深まる』ということであれば、人生なんて短くたっていい(むしろその方がいいでしょ?)。

 だから、むしろしほも『お父さんがとても調和のとれた方向のことに気づかせてくれてよかった』と彼が亡くなってから思えればいいし、亡くなるまでにそんな父親になってくれさえすればいいですよね。今は彼は事業が面白くて仕方ないといった状態ですから。

 僕も、父親が生きている間には感謝なんてまったくなかったと思います(笑)。むしろ最近…今まで関わってきた“大人”とは違うタイプの人たちを見て、『ああ、自分を育ててくれた人は素晴らしかったな』と本当に思える。比べることじゃないけど、先の内容の『叱ると怒る』というようなこと、これは父親だけじゃなく、今まで関わった先輩や親のような世代の人たちって叱りはしても怒りはしないタイプが多かったから、とても恵まれた人間関係にいたんだということに気づかされました。
 それも、しほの父親のようなタイプの人と関わったからわかったのであるので、ある意味、彼にも感謝ですよね。



4月29日足立育朗講演会-報告会-「科学とアートと意識と意志」ビデオ&DVD

 2005年4月29日 足立育朗講演会-報告会-のビデオ、DVDが発売になりました。


DVD(1枚)   希望小売価格 5000円(税抜) 5250円(税込)

ビデオ(2本組) 希望小売価格 7000円(税抜) 7350円(税込)

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