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すばる

結婚は楽しいよ

 10代の頃はは結婚願望(金八先生の第一作を見て、高校生くらいには結婚していたかった)があったのだけど、30過ぎる頃から『すごく結婚したい』という気持ちはあまりなくなっていた。…というか、本当に好きな人と出会ったら結婚するかもというくらいになっていた。今回の人生では恋愛はしても結婚はしないのではないかと思っていました。
 それは妻も同様で『自分の父親がちょっと無茶苦茶な性格だから、結婚相手やその家族に迷惑かかってしまう』という理由で、妻も今回の人生では結婚しないつもりのようでした。僕達が出会うまでの間はお互い『誰とも結婚はしないだろうな…』思っていたのです。
 
 2005年1月、藤沢から船橋に移転している時期に妻に出会いました。というか、彼女がカフの注文をくれました。実際に会うまではもう少し時間がかかるのですが、お互いに『会ったら付き合うことになる』というのを予感(直観?)していました。
 そして実際に会った日に『これは結婚するしかない』とお互いに感じ、今日に至ります。東洋医学の専門家の方は『結婚生活(家庭生活)は大変なんだよ』といつも口にしています(笑)が、こんなに楽しいことは本当にないかと思います。もちろん、『楽しい』というのは面白可笑しくという意味ではなく、お互い思いやれて感謝しつつ楽しいということです。
  ですから結婚生活はとてもオススメしたいと思います。


波乱を乗り越えて

 6月23日のこと。
 船橋で友人と会って、栃木に戻ったのは11時半くらい。いつものように車をバックで入れてエンジンを切る。玄関からしほが出て来た。泣いていた。
  どうしたのかと聞くと、父親にひどいことをたくさん言われたらしい。くわしくは書けないけど…。と日記には書いたけど、どういうことを言われたのか…『子供をおろした方がいい』というような内容だった。だからしほは悲しくて泣いていた。

  自分も二十歳前後の若い頃(今よりも未熟だよね)に人に対してひどいこともした。でも、こんなにヒドイことは出来ない。周囲にはいい人のように振舞っていても、感情をコントロールできないというのは困り者である。
 普段は僕は人に対して『可愛そう』という表現はしないんだけど、彼に対しては可愛そうと思う。

 僕も偉そうなことは言えないんですが、20代くらいまでは『未熟』ですみますが、40代、50代とかになってそんな状態だと、愚か者って感じだよなとしみじみ思います。だって、『30才(40という説もあるか)になったら、自分の顔に責任を持て』って言うじゃない。歩いてきた人生が顔(表情とか)に現れます。十代、二十代ならばまだ『親のせい』と言える(本当は全部自分の責任)。だけおd、三十歳超えたら、自分の顔に責任持たないと。

 車のドアのそばでしほをなだめていると、ホタルが飛んでいた。まるでサポートのようだった。しほの気持ちもやわらいでいくようだった。

 翌日。昨夜の一件があって、一騒動です。もう、これは再現ドラマ(フジテレビの『こたえてちょーだい』のような番組か)を見ているかのようです。
 夕方義父が帰ってきて、『二人とも話しがあるから』と。昨夜のことで少しは反省でもして、彼女に謝るのかなと思いきや、とんでもなかった。

 彼の態度に対して僕も怒鳴り飛ばした。怒るではなく、叱りつけたわけです。そしたら、玄関に出て『親戚(義父の兄弟・しほのおじさんたち)を呼ぶから』と言う。そんなくだらないことで何を我を忘れているんだと思い、腕をとった。ついでに…といういか、勢いで少し腕を締め上げた。…形になった。でも彼が自分でこけたから腕が締め上げられたわけだよね。ある意味僕が被害者か?!サッカーでいうとオフサイドトラップだよ。

 すると、『警察を呼ぶ』と言って、通報していた。やんちゃだったこともあったけど、流石に警察を呼ばれたのは初めてです。一応、大川さんに電話して『こういう時どうしたらいいんだろう?』と聞きました。何も起こらないよといういことだったので、問題なしと捉えました。


 続々と集まる親戚の叔父さんたち。初めて会う人もいる。警察も来た。一応、事情聴取ってヤツですか。状況を話して、『締め上げたのは右腕?左腕?』と聞かれた。そんなのとっさのことなのでどっちかなんて、あまり意味ないと思ったのだけど、叔父さんたちと話している義父に『僕が締め上げたのはどっちの腕でっしたっけ?』とアッケラカンと聞いた。彼は『両方だ』と。そうだったけ?と思ったのだけど、右でも左でも両方でも自分にとっていいので、警察には『両腕みたいです』(笑)と答えた。当たり前だけど、本気でやっていたら腕が折れるだろうし、義父がバカげた行動に出ないために引き止めたついでなんですよね。

 警察もあきれて、『こういうのは家族で話してくださいね』と。こんなくだらないことにご足労願ったことを、しほと一緒に警察官に謝った。

 結論から言うと、義父は自分の思い通りにならないといつも家族のことも仕事のことでも癇癪を起こす。それは本人の気づきの度合いによるから仕方ないですよね。
 初めて会う叔父さんたち。僕はこんな義父の状況からしほを守らないと思って、『いいよ、しほは部屋にいな』とか言ってましたけど、しほの方が誰よりも大人でした。

 話しは進行して、なんとか兄たちの力を借りて(もっといいことに力を合わせるとか、協力を願えばいいのに)でも56歳の義父が僕をやり込めたかったようだったのだけど、一番上の叔父さんは僕の口の聞き方、態度とかは『それは只野くんもいけない』と言われました。それ以外の事は叔父さんたちは僕にはあまり言いませんでした。
 でも叔父さんたちはとても冷静で、義父としほの考え方・思いが10年以上もの間、こんなにずれているんだということとかが親戚中に浮き彫りになりました。
 九時を回って、叔父さんたちも『こんなくだらないことにつき合わすなよ』という、態度が顕著に現れてきました。僕もそう思うよ。

 ちょうど、すべての現象が終わって、一息というところに大川さんから電話がありました。『(警察)大丈夫だったろう、明日また電話するよ』と。大川さんも直観の人なんだなァ、絶妙なタイミングでした。こすみちゃんも心配してくれていたみたい。

 結局のところ義父は、警察や親戚に自分の不甲斐なさを知らしめるために、あちこちの人を巻き込んでしまった義父だったようです。

 でも、結果として最初にこういうことがあった方が良かったし、宇宙って凄いなと思いました。サポートをとても感じていました。ありがとうございます。ハッキリと義父に必要なことを伝えるいい機会だったかと思います。最初はゆっくりと関わっていこうかと思ってましたが、こんな酷いことを自分の娘にしてしまう(言ってしまう)ことに対して、キチンと言わないといけなかったのかと思います。

 こういう波乱の中、昴は子宮で育っていたので、きっとタフなハートを持って生きていけると思ってます(笑)。


母子手帳

 7月15日役所まで母子手帳をもらいに行った。
 パートナーのしほは妊娠三ヶ月です。そんな理由で東京に行くのも一人で(近くにしほを置いて)行ったりしました。ちょっとつわりが彼女はつらいみたいです。でも、今のところはは戻したりしてないのが幸いです。

 おそらく、近いうちに入籍をと決めた(この時点では義父も賛成し、早く籍を入れろと急かしていた)4月の終わり〜五月の初旬に妊娠したと思います。ゴールデンウィークが明けて産婦人科に一緒に行きました。

 母子手帳のおまけでついている父子手帳というのもあります。初めて知ったけど、あんまり公的ではなさそうなものです。イメージとしては『自転車免許証』のような感じです。今の母子手帳ってカラフルなんですね。昔のは真っ赤でパスポートのような感じだった気がします。

 7月22日珍しく10時くらいまで眠ってしまった。普段は6時くらいに起きるんだけど。
 11時から今市に行った。お腹が大きくなったしほの服を買うため。 急激にお腹が大きくなっているみたいだ。先日の検診でもぴょんぴょん跳ねていたくらいだから、赤ちゃんにとってしほの子宮はちょっと窮屈なのかもしれない。
 いくらかぽっこりしてきたとしても、僕のお腹にはまだまだ…(笑)。

 しほは子供の頃から窮屈で、偏屈な自分を囲む環境(人物?)に疑問を持っていたみたいだ。生まれてくる子供には『本当はこうだな』ということを素直に実行していってもらいたい。誰でもそうだけど、親には子供の素直な直観を阻止する権利など持ってないのだから。
 子供の直観をできるだけ、彼が行いやすくサポートし、本当の意味での子供の幸せ(『幸せ』を現代地球文化では 『自我と欲を拡大する事』と捉えている傾向があるけど、そうじゃなく本当の幸せ)を願う…親の気持ちが少しわかるようになってきた。

 子供を持つというのは、親への感謝(これも本当の意味の)を実体験することのようです。
 自分たちも子を持ち、その事で、子供のことを思えない(思っているつもりでも、自分の我欲で接する)人がいることが、ますます理解できなくなった。
 生まれてくる子がこの地球でどういうことを通して地球の文化を創って行く一員になるのかと思うとワクワクする。
 そのために自分たちが何をしてあげられるのか?(何もしないことが子供にとって良かったりして)
 親は子供に対して何をしてあげられるのか?子供は自分の所有物じゃないし(このHPをいつも読んでくださっている方は当然な話ですよね)。

 僕達は間違いなくこれから生まれてくる子供にたくさんのことを教わるつもりです。そして生まれてくる子供に『たくさんの人から祝福されているから安心して地球に来てね』と声をかけています。たくさんの人には、もちろんコレを読んでいるあなたも含まれていますのでよろしくお願いします。
 親バカモード全開です。でもバカ親にはならないように気をつけたいと思います。

 以前にある方が言っていた。『親になる(子供が生まれる)といういことは、親に感謝するということを実体験するということですね』と。
 今、少しその実体験をしほと一緒にさせてもらっています。ネィティヴのアメリカインディアンが6世代か7世代先のことを考えて行動するように、親になるということは、子供やまだまだ先の話だけど、孫のことを考えて『どういう行動をとったらいいか考えて生きる』というような気がします。
 地球や環境…すべてのものなどは、未来に生きる人(…動物や植物、すべての存在なんですけど)達から、私たちは借りているわけですよね。それをいかに歪めないで残して行くことが出来るか…。

 結婚・出産などを体験したのに、子供のことを自分の視点でしか考えられない生き方は勿体無い。(というか、可愛そう)
 体験しても学べないというのは意味がないですよね。僕はそんなに学び好き(学ぶための学びは好きじゃない)ではないけど、せっかくの体験なので、親に感謝するということも、子供が生まれて、子供と一緒に暮らしていく中で『親に感謝する』ということも体験していきたいです。
 
 母親にしても(父親は20の頃に亡くなってます)、この数年でとても変わってきたみたいだし、人は変わって行くものだから(ああ、いい意味でです)。母親も昔は『お金、お金』って、うるさかったんだけど、最近は違う。彼女の顕在意識にとってきつい体験を通して、色々と学んできたみたいだから。
 ただ、母親が少し変わってきてくれたことは、彼女の今回の人生においてよかったと思う。親ではあるけど、子供として嬉しい出来事ですよね。
 
 誰もがそうであるように、子供(自分の子供だけという意味じゃなく)たちのことを考えられる人間に少しずつなれたらと思ってます。

 下のスレッドで『人間になる〜』と書きました。
 多分、人は生まれた時から人(分類上は人類)ではあるけど、まだまだ人間ではないのだと思う。
 人として生きていく中で、精神的な成長と通して学んで(本質的な学びであり、学校などでは教えてくれない。でも、人によっては学んでしまう) 、人間になっていくのだと思う。
 毎回毎回の人生のなかで、人として生きて(EX、弱肉強食とか思っている人は、動物に近い人生なのか?)、その中で本質が(魂≒エクサピーコ=原子核の集合体のことか)成長していくんでしょう。その目的を忘れそうになってしまうのが、地球の文化、私たちの社会なんでしょうね。


助産院に行きました

 那須塩原市の助産院・ままと赤ちゃんの家に行ってきました。助産師であり主宰者の武藤さんはとても話しやすくさばけていて、はつらつとしていて素敵な人でした。お子さんが四人いて、一番上の子が15歳といいうことだったので、思わず年齢を聞いてしまいました。40代ということですが、もっと若く感じました。
 夏頃に いろいろとバタバタしていて、助産院を探せなかったのですが、やっといいところが見つかりました。
 最初は(伺って話を聞くまでは)妻は自宅出産したいと言ってたのですが、 武藤先生に会って彼女と話しをしていたら、自宅じゃなくてもここ(ままと赤ちゃんの家)で産みたいと思うようで…。塩谷町の妻の実家から1時間以上かかるのですが、武藤先生の話しだと、『陣痛が始まってから…沖縄往復もできるわよ』という。これはちょっと大げさかもしれないし、わざわざ沖縄は行かないと思うけど。

 武藤先生は4人のお子さんのうち三人までを助産院で、四人目を病院で産んだそうです。病院で産むというのはどういうことかを体験したかったらしい。(まあ、凄すぎる!)陣痛促進剤を使われるとどうなるかとか…自分の身を持って体験(わざわざするか?普通)したかったみたい。
 とにかく、とてもこの辺(栃木県)ではさばけている人だったので、どちらの出身ですかと訊ねると山形だということでした。この地域の人は自分の意見を言わない人が多いみたいです。(人からどう思われるか?とビクビクしながら生きてる人が多いのか?)
 でも、栃木で数少ない助産院みたいで、他のところにもあるとは思うけど、遠すぎるし。武藤さんがとてもいい方でよかったと思ってます。
 自然のリズムで子供には生まれてほしいし、自分で本当に調和の方向を見出せていけるような人間に育ってほしいから、その一歩を一緒に手伝ってもらいたいと思いました。

 その夜に目が覚めて考えてた。昨日の武藤先生が言ってた『40過ぎると“死”を考えるものなのよ』と。
 今は37だけど、もうすぐじゃない(笑)。彼女が言った“死を考える”とは、後ろ向きなものではないと思う。『いかに死ぬか』ということだ。言い換えれば『どう生きるか』だ。

 そんなことを考えていたら、朝方4時を回ってしまいました。今までは変な意味ではなくて、『自分が死にそうになったら、人に迷惑をかけるのも(葬儀やその他のこと介護なども)いやだし、生きているうちにどこかの山奥にでも埋めてもらいたい(←おいおい!)』くらいに思ってた。現実的には法律うんぬんで無理かもしれないけど、そのくらいの勢いという意味で受け取ってください(笑)。
 でも、今はパートナーのしほがいて、彼女のお腹の中には子供がいる。…長く(と言っても普通にね)一緒に過ごしたいという思い(これも欲でしょ・笑)も出て来た。
  家のことで借りるか、買うのがいいかで助産院の帰りの車の中では妻と意見が分かれたけど、ワガママ言ってしまったが、これから一緒に生きて行くパートナーであり、彼女の小さい体の中に子供を育んでくれている…しほの寝顔を夜の部屋明かりの中で見ていた。ありがたい。なんていいヤツなんだとつくづく思う。
 
 時々、長く生きていたい(例.100歳までとか)というような願望を持っている人がいますよね。でも、何のためにそんなに生きたいのか?そういう方向で『死と向き合う』のではなくて、いかに死ぬか(生きるか)が重要なのかと思います。生きている間に何をするか?…もちろん調和の方向でというのが大前提かと思うんですけどね(笑)。死ぬのが怖いとか…そういうレベルのことではなくて。
 ワンピースの中では『死ぬ覚悟より、生きる覚悟』なんて言ってますけどね。世の中には『長く生きてしまうといけない人』が多いはず(笑)。自分で長く生きたいと思っている人は、よほど調和のとれた人か、思い切り不調和で自我の強い人かどちらかですよね。間違いない!(笑)
 
  ままと赤ちゃんの家の武藤さんのひとつの言葉からこんなに考えるとは思わなかった。40代以上の人はそんなことを考えているんだろうか?大事なことではある。
  ちなみに妻の母親は『すべてのシガラミから抜けて瞑想のような老後を過ごしたい』と手紙に書かれていた。自分(私の)の母親は、子供たちに迷惑かけたくないから、死んだら海に散骨してほしいって言ってた。それぞれの親の気持ちはとてもよくわかります。自分もそういうことを考える日が来るのかな?ちょっとは考えているけどね(笑)。

昴のうた・・・音楽が好きみたいです

 昴が生まれた日が最終回だった仮面ライダー響鬼はかつてないほど面白いライダーだった。
 ついでに…音楽がウルトラマンガイア、ガンダムSEEDディスティニーの佐橋俊彦。なかなかいいよ。そんでもって主題歌(オープニングは歌はなく、まるで時代劇のよう)が布施明なんですよね。こないだ、何かの番組に布施明が出ていて『少年よ』は自身のシングルの中で一番売れた。と言ってた。

まるで透明になったみたい
ぜんぶ 自分をすりぬけていく
そんなふうに 感じてたのかい?
少年よ 旅立つのなら 晴れた日に胸を張って…
Hit the beat! Keep your beat!
心が震える場所 探して
Hit the beat! Keep your beat!
誰にも出来ないこと 見つけ出せ
それが君の響き 

まるで空っぽになったみたい
ぜんぶ 無意味に思えてしまう
そんなふうに 世界が見えたかい?
少年よ 旅に出たなら 雨も降る、顔を上げて
歩き疲れた道の途中で
思い出すもの 夢に見るもの…
Hit the beat! Keep your beat!
心が響いた鼓動 信じて
Hit the beat! Keep your beat!
誰でもない自分の 生き方で
それが君の響き 

 9月10日にコンサートに行ったよ。塩谷町にある星ふる学校「くまの木」は、廃校になった熊ノ木小学校を改装し、体験学習(そば打ち・ 竹細工・天体観察など)を通じて元気に楽しく交流できる宿泊型体験学習施設。そこでアクアマリンというボーカルとキーボード(ギター)のユニットのコンサートがあった。
 一昨日、町役場前のバス停で時刻表を確認しに行ったときに、貼ってあったポスターがあったから。近くだし何となく行ってみようかといういことになった。

 会場となったくまの木の校庭(今は学校じゃないけどね)にブルーシートが敷かれ、パイプ椅子が置かれていた。ざっと数えると150客あった。席の空き具合から70〜80人くらいの人がいたと思う。停車している車のナンバーは東京・神奈川・千葉など…地元ナンバーの割合が少ない…。
 空は曇っていたが、7時から演奏が始まった。とても爽やかな曲とのびやかなボーカル、意気のあったコーラス。湘南出身のふたりでした。
 楽曲担当の男性・ミマスさんは天文大好きな方みたいです。こういう星空コンサートなどを各地でされていたりします。今日もちょっとだけ星が見えたけど、満天の星空の下で行われたらとても素敵だったかと思います。
 
 妻のおなかの中の子供は、普段から彼女が音楽を聴いていると、よく動くんですが、生の演奏でとても反応していたみたいです。まだ本人(しほ)以外動くのはわかりにくいけど、演奏中に触ったときは、なんとなく動いたのかなという気がしました。
 しほは10代の頃に音楽の方の学校とかに行きたかったみたいなので、やっぱり生まれてくる赤ちゃんも音楽が好きなのかな。

 途中、主催者からの提案ということで、みんなで歌える曲を…ということで、 坂本九の「見上げてごらん夜の星を」 を歌われた。
 この歌、知らなかったけど、作詞が永六輔なんですね。

見上げてごらん 夜の星を
小さな星の 小さな光が ささやかな幸せを歌ってる
見上げてごらん 夜の星を
ぼくらのように 名もない星が ささやかな幸せを祈ってる
手をつなごう ぼくと 追いかけよう 夢を 二人なら苦しくなんかないさ
見上げてごらん 夜の星を
小さな星の 小さな光が ささやかな幸せを歌ってる
見上げてごらん 夜の星を
ぼくらのように 名もない星が ささやかな幸せを祈ってる


引越し

 10月9日に那須塩原市に引越しました。
  助産院の近くにという意味と、6月くらいからの義父とのやりとりはLaPLAYHMのHPをご覧のみなさんご存知かと思います(笑)が、離れてスタディするということで一応の解決をしました。妻・しほのお母さんと義父が離婚されてからの20数年間、父親との関係で妻はとても苦しんできたので…きっと過去生とかでもたくさん大変な関係があったのかと思います。
 占星学的に見ても妻と義父との関係はとても大変なようなのです。反対に義父のトラウマみたいなものを僕は解消できるような星の角度を持っているみたいです。僕にとっては…まあ、気にしなければ気にならないそんなタイプです。ただ、一番今大切にしないとならないことは、母体であるしほが安心して子供を生まれる環境(義父から離れること)が一番のポイントです。

 この二人が感謝し合える日は、まだまだ遠いかと思います。今回の人生の中でそうなれれば、それに越したことはないんですが…。人生の目的は(誰もがですけど)自我を少なくしていくこと。そうしたスタディとして家族があるわけですよね。人生の目的は長生きするとかでもないので、『自我が少なくなる』『気づきが深まる』ということであれば、人生なんて短くたっていい(むしろその方がいいでしょ?)。

 だから、むしろ妻も『お父さんがとても調和のとれた方向のことに気づかせてくれてよかった』と彼が亡くなってから思えればいいし、亡くなるまでにそんな父親になってくれさえすればいいですよね。今は彼は事業が面白くて仕方ないといった状態ですから、家族のこととか考えられない(自分の都合では考えるけど)みたいでえす。
 僕も、父親が生きている間には感謝なんてまったくなかったと思います(笑)。むしろ最近…今まで関わってきた“大人”とは違うタイプの人たちを見て、『ああ、自分を育ててくれた人は素晴らしかったな』と本当に思える。比べることじゃないけど、先の内容の『叱ると怒る』というようなこと、これは父親だけじゃなく、今まで関わった先輩や親のような世代の人たちって叱りはしても怒りはしないタイプが多かったから、とても恵まれた人間関係にいたんだということに気づかされました。
 それも、妻の父親のようなタイプの人と関わったからわかったのであるので、ある意味、彼にも感謝ですよね。

 助産師の武藤さんはこんな状況(妊娠中)に引越ししたなんて…と、そりゃ義父のワガママをすべて僕達が受け入れたわけなので…。普通(人間として)ならば、こういう時期に引っ越せと言う神経は不思議ですね。でも、引越ししてから妻は本当にリラックスして暮らしているので、実家(というか、家族はいないので、父親の家というだけ)だととても落ち着かないようだった。
 結果としてよかったよね。義父の希望も叶ったし。

年末の安堵

 助産院に検診に行きました。
 実は、11月末まではお腹の子供の成長がぴったりだったのですが、12月14日の時点で大きさがほとんど変わってなかったのです。それまで順調だったのですが、僕もしほもとてもショックを受けました。
  僕達は基本的に肉は食べない(ようするにマズイからなのですが)のですが、『レバーなどを食べた方がいい』と言われて、少しだけしほは食べました。そしてケンタッキーも。こちらは結局お腹が痛くなってしまい、風邪もこじらせてしまいました。やっぱりケンタッキーなどの肉関係はマズイし身体にもよくないということを確認しただけでした。
 同時にプロテインや納豆、といったたんぱく質をたくさん採るように食事を切り替えました。彼女は元々食が細いので、他のものを食べるとたんぱく質が食べきれなくなるので、たんぱく質のかたまりであるプロテインしかないと判断しました。(笑)
 
 その後、24日に検診に行きました。助産院では『普通の産婦人科だったら、すぐに総合病院に送られている状態よ』と言われて、妻は先生に『頑張りましょう!』と説得(←おいおい…)して、今日、もう一度検診するということになってました。
 食事と、身体を温めるためにスマーティーの足だけのタイプを買って、暖めていました。しほは以前に身体を壊した頃(父親との関係からのストレスで)に、全身で入れるスマーティーを使ってたのだけど、妊娠している身体を全部暖めるわけには(まあ、サウナのような状態なので)いかないので、この年末に足だけのを買いました。 あと、愛さんがパイロゲンというドリンクを送ってくれました。羊水をきれいにするみたいなのです。それらのおかげもあってか、いい感じになっている気がしました。
 
 31日は一緒に行きました。この一週間でお腹もずいぶんと大きくなっていたので、大丈夫かなという希望はあったのですが、検診してもらうまではやっぱり不安もあります。
 自分はある程度感情をコントロールできると思っていたのです(勘違い?)が、妻や子供…家族のことになると、やっぱりとても心配だったりします。

 産まれて来る子供は、生まれる前から僕としほにいろんなスタディをくれています。でも本当にかわいいです。
 検診の結果、『この成長状態なら大丈夫』と助産師の先生も言ってくれたので、二人で安堵の時間となりました。

 こんな日々だったので、クリスマスも子供のことでとても不安なクリスマスでした。でも、出来ることをするしかないから (基本は食べるということか)。
 年内に安心できる状態になってよかった。

 1月16日検診に行ったよ。エコーとかで調べても、標準より大分小さい子だけど…お腹の中で元気いっぱいみたい。もう少し大きくなると親としては安心なんだけど、ひとりひとり違うから小さくてもいいのかも。『コ○ンコ○ン小さくたって一人前♪』
 とにかく、元気で生まれてきて欲しいな。それだけだよ。

 1月18日家に戻り、ご飯を食べたりしていると…夜8時半くらいに『破水したかも』と。すぐに助産院に電話し『30分くらいしたら来てください』ということでした。30分というのは後でわかったのですが、助産師の武藤さんがお風呂に入ってたからだそうです。確かに入浴中だとね(笑)。
 検診の結果、まだ破水してはなく、おしるしがあったみたいです。
 まだまだ、これからみたいです。

 破水疑惑があったのに、今日はなんいもない。助産師さんからはゆっくり過ごしてねと言われているので、しほはお約束のスクワットだけしている。夜から子供用の布団のシーツを作りはじめた。先日近所の衣料品店でやすい布を大量に買い込んでいたやつだった。
  前駆陣痛が一昨日あってから、彼女はとても落ち着いている。昨日のシーツの残りを作ったり、外気は最高気温0度くらい(今夜は東京でも雪?)だけど、窓辺でロッキングチェアー(ハーモニーライフカフェで使っていたものです)に揺られて、日向ぼっこしながら母親がくれた『育児の百科』という厚さ4センチはある百科辞典みたいな本を読んでいた。
 日が落ちて寒くならないうちに灯油を買いに行きます〜。


誕生

 1月22日朝リアルタイム(ビデオとかじゃなくて、放送の時間に)で見たよ。いい作品だった。昨日初めてテレビ朝日の仮面ライダー響鬼のHPを見たんだけど、放送直後に更新しているのに驚いた。
 ウルトラシリーズと違い、最近のライダーは内容が暗いのが多かったけど、響鬼は和風ティストと師匠と弟子というような(別にスポ根みたいじゃない)関係と音の波動で清めの儀式を行うという感じで毎週面白かった。主役が30代半ばの細川茂樹。劇中にも『お兄さん?おじさんでいいんだよ』と子供に話しているシーンがかっこよかった。20才超えたらおじさんとおばさんだからね。
 そんな中でも、どういう生き方をしているかが大切でしょ。響鬼の世界ではライダーたちを『鬼』と称して、師弟制度の修行で鬼になっていく。『鬼に変身することだけが鬼になることじゃない』と真の主役・弟子のひとり明日夢(あすむ)の医者になるという生き方もかっこよかった。なんかさ、そういうカッコイイおじさんとカッコイイおばさんになるといいよね。
 
 昔のヒーローはオジサンたちだった。ウルトラマンのハヤタ隊員もそうだし。宇津井健もかぶりものやってたよな、確か。仮面ライダーあたりから熱血根性若者(本郷猛・藤岡弘、)がヒーローになっていった。それまでは二枚目しっかりものの大人がヒーローをしていた。今のイケメンふう役者じゃなくてね。

 生き方を教えてくれるのが真のヒーロー(リーダー)なんじゃないかと思うのさ。

 朝方から陣痛が始まって、10時頃に助産院に行きました。まだまだ序盤だったみたい。今夜が山場のようです。家への帰り道途中セブンイレブンでアイスを買って、お昼前には家に戻りました。
 『洗濯して掃除して、ご飯作ってご飯食べて、ゆっくりお風呂に入って…そうすると生まれるよ』と言われ来た。
 助産院ままと赤ちゃんの家は、車で五分だから。とても近い。本当にそばなのですぐに行けるのがいい。

 午後3時38分に2520グラムの男の子です。名前は昴。
 昼前に家に戻ってきて、そりゃ少しは(本人にしかわからないけど)陣痛もあるでしょう。2時頃にお風呂に入って、出て来てベットの横で動けなくなっていた。後で聞いたら陣痛のペースが20秒くらいだったから、話せなかったらしい。


まだへその緒繋がってます


 二時頃にお風呂に入り、風呂からあがると陣痛が激しくなったみたい。妻は体勢を変えるのもできないみたい。助産院に電話すると、『じゃあ、今すぐ来て』と。車で五分なんだけど、車まで歩けない…。玄関からより、居間のドア(ガラスの窓)からの方が車に近いと思ったので、そっちから行こうと言うけど、妻は『歩けない』言ってるし…。体勢を変えるのも大変(ていうか無理)だけど、ちょっと頑張ってもらって、近所の人に手伝いを求めました。
 隣の家の方が出かけようとしていたので、来てもらい、なんとか車に乗せました。そばに人がいるだけでもなんとかなるものなんですね。

 後で聞いたら『隣のお家の方はそばにいてくれたけど、翔ちゃんひとりで私を抱えて車に乗せてたよ』って。知らなかった(笑)。そばに人がいると、何かあったときにどうにかなるんじゃなるかと安心して行動できるものですね。

 助産院に着くと、着替える間もなく…多分凄い安産だったんじゃないかと思います。本人は『気絶の寸前の痛さ』と言ってたけど、着いてから10分以内に生まれてました。

 本当、よく来てくれたね、昴。これからみんなと一緒だよ。

 人間として、星のように大きな心を持つように育ってもらいたい。何をするために地球に来たんだろう?僕達のところに。


助産院の日々〜家に来たよ

 遅らばせながらFALFARUTのDEKORUVON-12と『EJUNXO』写真が届きました。せっかくだから昴のところに持っていって飾りました。昴が家に戻るまでに着るといいなと思ってたのでいいタイミングだった。
 EJUNXO写真は『うちにもスィエポンエヴァあるからいいかな(要らないという意味)』と思っていたのですが、やっぱりスィエポンエヴァとは意味合い(役割ともいう)が違うという気がしました。


DEKORUVON-12と『EJUNXO』写真



 日本の風土というか文化には、絵(アートのことです)を部屋に飾るというのが養われてないですよね。それと住宅事情もあるかと思いますが。でもこれらFALFARUTはなんかいいでえすよ。(凄い抽象的な内容ですいません)



 22日に助産院に行ってから、毎日10〜15時くらいまで家で過ごして、他の時間は助産院にいる。家にいるのは、最低限のメールなどのチェック、通販の製品発送のため。
 26日にはみんなでお家に帰ってくる。帰ってくると言っても車で五分のところから移動するだけなんだけどさ。

 1月26日お昼前に家に帰ってきました。昴は移動の最中ずっと眠っていて、家でも今日はたくさん寝ています。
 泣いたり、寝たり、おっぱい飲んだり、おしっこしたり、うんちしたり…日曜日に生まれて今日来たばかりなのに、今までずっと一緒にいたみたいな感覚です。

  昨日の夜は昴がなかなかミルクを飲んでも泣き止まず、大変でした。基本的に母乳なのですが、しほもまだまだ初心者ママなので、うまくおっぱいをあげられず、大変でした。
 一時は搾乳機を買って、哺乳瓶でおっぱいを与えようか、とまで考えてました。
 助産院に電話して聞いてみると、『搾乳機はよくないから…。明日来て』と。そして今日になってままと赤ちゃんの家に行って、上手におっぱいをあげられるようになりました。

 最初から上手に出来る母親はいないようです。でも一般的に病院で出産した場合、退院からいきなり家でおっぱい上げたりというのは本当に大変そうです。育児ノイローゼになるのも仕方ないですよね。我が家は昴が生まれたその日から親子三人で寝てますから(笑)。とてもいい助産院で出産できてよかったなと思います。


名前の由来 UPDATE 2006.2.14

 @ そもそも、95年くらいに企画されていたウルトラマンの映画の主人公の名前だったのです。初代ウルトラマンの25年後の話で、ウルトラマンの最終回にゼットンに敗れて、ゾフィと一緒に帰っていったウルトラマン。でもそのウルトラマンは仮体(要するにボディだけ)であって、その時に大きなエネルギー移動があったということで、誰かにウルトラマンが転生している(本質のエクサピーコが)のでは…ということをイデ隊員の息子・イデjrが研究する。
 そしてその主人公が昴隊員だったということ。映画の内容は転生から環境問題(バルタン星人は自分たちの星が歪んだ方向に行って破滅したから、地球にはそうならないようにメッセージを持ってきていた)まで…。
 時期が時期で、オー○のサリン事件などがあり、転生とかの内容だと誤解されるから企画がお蔵入りしてしまったんです。
 
 昴か、ダイゴ(ウルトラマンティガの長野博)、アスカ(ウルトラマンダイナのつるの剛士)にしようと、10年くらい前に思ってました。
 当初違う名前を用意していたんですが、…妊娠当初、女の子ではと思っていたので、ひかり(これもウルトラマンティガのダイゴとレナの子供の名前)にしようと思ってました。男の子とわかったときも、『ひかり』で行こうと思ってました。
  しかし、道端で『昴』の名がつくものを何度か目撃して、『やっぱり昴なのかな?』と思い、妻に話すと、妻も『昴』という名前を気に入りました。ちょうど昴の生まれた季節には夜空に昴がありますし、いいかなと思ってます。

 A もちろん、昴(おうし座のプレアデス星団)のことです。ちょうどこの時期(昴が生まれた頃)に夜小さく輝く姿を見ることができます。
 宇宙のように大きな心と本質(エクサピーコ≒魂)を持つ人間になって欲しいという親の願いです。

 B 昴(≒統べる)…プレアデス星団という意味と『一つに統合する』というような意味があるみたい。多分、SUBARU(表記はSUVALUとかかも?)はそういう意味の宇宙語なんじゃないかと思います。
 
  メソポタミアは、ギリシャ語で「両河の間の国」という意味で、ティグリス川とユーフラテス川の間の地域を指す。両川の周辺には肥沃な地帯が連なり、その形状から「肥沃な三日月地帯」と呼ばれている。特にメソポタミアの南半分が肥沃であり、古代文明のひとつであるメソポタミア文明の中心地となった。
 BC3100年ころには民族系統不明のシュメール人が、神殿を中心とし城壁を持つ都市文明を築いた。この文明は、青銅器を伴い、文字が使用された。
  神殿は改築されるたびに壊したレンガなどを土台として、その上に新たな神殿が建てられた。それはやがて、数段の土台と階段を持ち天高くそびえるジッグラトとなっていった。

 シュメール≒すばると同義語なんだとも思うんです。あんまり昴の名の由来とは関係ないんだけど。そういう言葉は世界中にたくさんありますよね。飛鳥(アスカ)とナスカとか…そういえば、ここは那須だった。


家族の幸せと地球の調和

 昴(息子)は未熟児なので、体温の調整とかまだ上手く出来ない。二週間経ったけど、体重も増えてない。助産師の武藤さんは楽観的な人だけど、『シビアなことは言いたくないけど…』という口調だった。
 子供(家族)の幸せをもちろん願うのだけど、こういう状況でも(というか、『こういう状況だから』でもよい)、地球の調和の方向へ…もう少し突っ込むと宇宙の調和の方向へという気持ちを忘れないようにしたい。どちらか一方というのはありえないから。
 もう少し身近な感覚で言うと、日本がどこか外国と戦争をしているのに、自分の家族(だけ)は幸せで平和だということは、ありえない。 自分にゆとりや余裕があるときは、人に優しく振舞うことが出来るというだけでは、ちょっとつまらない。もちろん、ゆとりとかは大切だけどね、『自分のことより友達のことを優先できるのが強い男だよ』とテリーマン息子にキン肉マンは教えていたし…(笑)。

 もっと何か…昴が難病を持って生まれてきていたとかだったら、もっと僕達も切羽詰まっていたのかも知れないけど(笑)。それでも考えたかと思う。昴の場合、しほの子宮で6〜9月頃のヒドイ家庭環境の中でも逞しく育っていたから、強い子供だと思うのでドンと構えて行こうと思う。今は未熟児でもね。
 もちろん、たくさんの人、その家族の中には難病などのスタディをされている方もたくさん いるかと思うのですが、そうした生き方の中でも『調和』ということを忘れない(忘れられないよね)で生きている人を尊敬しちゃいます。
 
 『一人の命は地球よりも重い』という言葉があるけど、誤解なく、そして勇気を持って(自我の振動波は少なく)言うと、『それは違うよ、地球(それを含むすべての存在)の方が重い(重要)』ですよね。
 でも、もちろん家族や他のひとりひとりの命(魂)も大切で愛しい存在です。


昴は素直だよ

 昴を育てているしほの疲労がピークを迎えたみたいだった。夜の前半(9時〜深夜2時くらい)昴を自分のとなりに寝かせることにした。普段は添い乳で寝ている昴だけど、今夜は添い父である(←くだらない…)。
 グズってなかなか眠らない昴だったのだけど、『今日はママが疲れているから、ゆっくり眠らせてあげよう。だからパパと寝ようよ』と声をかけると、コトっとと静かになって眠ってしまった。

 親バカなのもかなりあるけど、昴はとても素直な赤ちゃんです。イヤなことにはきちんとイヤだというい意思表示をする(これは当たり前)けど、小さいんだけどちゃんと聞き分ける気がするんです。
 11月頃には逆子だったんだけど、『逆さだから、頭を下にするんだよ』と話しかけると数日で普通になっていたり、そういうことが子宮にいたときからしばしばです。
 赤ちゃんだからおっぱい、おむつと泣きまくるのは当然なのですが、不思議なくらい、ちゃんと話すとわかってくれます。


お風呂大好き いい湯だな♪


昴の曲 UPDATE 2006.2.14

 2月11日にピアノソロのCDコスモスの安部尚美さんから電話をもらいました。子育てにバタバタしているだろうからと、電話などを遠慮されてる様子(笑)でした。
  絶版になっている本のことと、新しい曲ができたよというお知らせでした。
 そして新しい曲のタイトルが何か…と発振すると、昴というタイトルだったそうです。早く聴いてみたいです。


昴は元気だよ UPDATE 2006.2.14

 みなさんから頂くメールやお電話で、『子育て(昴の体が小さくて)大変なんかないか?』というような感じに受け取られている方が多くいらっしゃるかと思いましたので、一度ちゃんと否定しておきますね。
 昴は確かに小さいんですが、毎日毎日おっぱいをたくさん飲むし、…というか、母乳しか飲んでないし(最初のころの数回を除く)、元気なんです。体が小さいというだけなんです。
 あと両親(僕としほのこと)がノーテンキなので、とても楽観的なのです。『母親(しほのこと)がストレスとかあると、母乳が出なくなるから気をつけて…』とかもご助言いただくんですが、これまた毎日楽しく…大変なこともあるけど、楽しみながら暮らしてますので、大丈夫なのです。
 余談ですが、しほの父親には『楽しみながら』という考え方が受け入れられないみたいです(笑)。どうも『人生を苦しみながら生きていかないとならない』というような家訓(家訓といっても家族は自分だけなんだけど)か信条があるかのようなのです。この文章を読んで、彼らをよく知る人は『その通り!』って思ってしまうのでしょうね。
 誰にでも幸せはそこにあるわけですから。←決まったね!
 とにかく、昴は元気だからみなさん安心してくださいね。

 今回使った『楽しむ』という言葉は、自我と欲を拡大させる方向に過ごして面白おかしいという意味合いではありません。本来ですとこのように日本語の言葉のひとつひとつの定義をキチンとすり合わせをしないと、人とのコミュニケーション(言葉を使う未熟な文化では)が円滑にいかないですよね。同じ言葉を違う意味で使っている場合、意味が通じません(笑)。
 僕の嫌いなことのひとつが『円滑にいかないコミュニケーション』なのです。(笑)


外出 UPDATE 2006.3.26

 那須の澤野さんから電話がありました。黒磯の方に用事があるので…ということで、30分後にファミレスでということになりました。
 今回は昴もつれていくことに。今までスーパーくらいは行ったことあるのですが、長い時間(一、二時間)家以外のところには行ってないんです。外出すると気分転換になるし、長い時間だと泣き叫ぶかなと思いきや、お昼近くまで大丈夫だったので、ゆっくりと澤野さんとお話しできました。

 澤野さんと話していると話がつきません。なんて面白い方なんでしょう(笑)。僕はよくわからないジャンルのことですが、しほと南アフリカのエッセンスのこととか…オムツのこと、値域のこと、…あらゆる引き出しが澤野さんにはあるみたいです。

 



発行              2006.2.9
UPDATE           2006.3.26
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