小学生の頃よく父親に叱られていた。大抵は弟を取っ組み合いのけんかをしたことだった。ほぼ毎週一回以上だった。
でも、父親が怒る(おこる)のは理由がわかるし、怒られる=叱られるという意味だった。
彼は感情で怒る(自分の不満などを家族にぶつける) ようなことはなかった。たまにはあったのかも知れないけど、子供の頃からの記憶に残ってないので、多分ないんだと思う。
だからなのか、怒る(おこる)のは子供のすること…これでけんかなどがある。そして、叱るのが大人のすることというような認識で子供の頃はいた。でも、大人でも怒るような人もいる(まあ、自分も含めてね)と知るのは中学生くらいだったかと思う。
中学生の時に友達との会話で相手が『怒る(いかる)』という言葉を使った。『いかる』という言葉が示すものがわからなかった。その時に『怒る(いかる)』という言葉の意味を初めて知った。(海のイカのことだと思った・本当に)
人に対して怒った(おこった)ことはそれまでもあったのだけど、怒った(いかった)という経験が自分になかった。イメージとして、怒る(おこる)は理由があって、怒ることであって、『怒る(いかる)』は怒っている本人がとても感情的になっている状態を示す言葉のような気がした。だから、今も怒る(おこる)ことがあっても、怒る(いかる)ことはないような気がする。
社会の良くない仕組みに対して何なんだと思うことはあるけど、怒る(おこる)ことは(理由があって怒る)あったとしても、怒る(いかる)ことは自分にはないんじゃないかと思う。それは両親の自分が子供の頃の育て方だったのかと思い、感謝です。
子供同士(兄弟姉妹)に勉強の競争をさせたり、それで頭の良い方を可愛がる両親の話、、また親の感情で怒られていた経験がある人。そんな人の子供のことの話と聞かされたりすると、自分は本当に平和に育てられたんだなと思います。でも、反面教師として、子供が育つ場合もあるから、どちらの育て方がいいかとかはわかりませんね。
感情に振り回されているのが怒りですね、きっと。
そして最近、電話をしていて感じたことです。『怒られないようにする』のと『人を怒らせないようにする』のは、まったく違うことです。
便宜上、怒る(もしくはいかる)と叱るというのはまったく違いますが、両方とも『怒る(おこる)』と言葉を使って表現しまいますよね。
電話の相手の方の場合、『怒られないようにする』というのは、自分が怒られたくない(叱られたくない)から、相手に怒って欲しくないということが往々にしてあるように思いました。
相手が叱る必要のない自分になることを『怒らせないようにする』ことですよね。
どんどん、叱られて下さい。叱られ上手・謝り上手になってください。誤り上手にならないように気をつけてください。
自分で表立って仕事でもプライベートでもやっていると、叱られてダメージ(お詫びと感謝の心がないから、傷つく)を受けても、自分が中心となって仕事とかしていると引きずったり落ち込んでいる暇がないから、たくさん叱られるといいですよね。
人の影とか会社の影でやっていると、ウジウジしていてもなんとかなる(←周囲の人に多大な迷惑はあるが)けれど、自分自身(顔や生き方・姿などすべて)を看板としていると、ウジウジを長くしてられない。だから叱られるいいチャンスなんです。
失敗したら謝ればいい。でも判断は誤らないように。それで怒ったり(叱るではなく、怒る)離れるような人だったら、最初からそうなんだから。
でも、相手が自分のそういう醜い部分を見せてくれている。自分のためにしてくれている申し訳ないという気持ちを持てば、そんな人にも自然と感謝が生まれるはず。
大切なのはお詫びの気持ち。感謝なんて、お詫びの気持ちがあれば当然出てくるものだから。
『形だけの感謝』をたくさんして、感謝している自分に酔うような自我もあるから気をつけて。でも、形・形式が出来ないのならば、本質を追究することなんてもっと大変だろうから、『逃げ』の理由にしないよう気をつけましょう。
例えば、相手に100%否があっても、自分が悪かった申し訳ないという気持ちを持てたら、カッコいいよ。自分もそんなに偉いことは言えないけれど(言ってるけれどね)。『自分が出来てないから言えない』なんて言い訳しない。出来てないけれどそういう心意気が大切なのかなと思います。
足立幸子さんは厳しかった。もちろん、本当の愛を持って接してくれていたから。突き放されるようなことを言われたこともあった。
ある画家の方の個展のオープニングパーティで笑顔で接してくれた。最後の会話(タイゲタに帰星される20日前だった)は『あなたもう大丈夫でしょ(足立幸子さんの言葉)』。
こちらは、落ち込んでいたことさえも、コロッと忘れていたので、『えっ?何が(大丈夫なの)』とそのときは思いました。
今から思うと、もうグチャグチャ落ち込んでいる段階は超えて大丈夫だよね、という意味だったのかと思います。
潟Gフエー出版『新時代の命の知恵』宮崎雅敬さんと足立幸子さんの対談でもちょっと似たようなことを言われていた女性の話が出ていました。
自分の体験の中からの話ですが、ちょうど幸子さんが亡くなったころのことです。
足立幸子さんの本『あるがままに生きる』ショッピングカート94年に発売されて以来、24万部以上売れ続けています。
ショッピングカートの機能上、送料735円が加算されてしまいますが、備考覧に『ヤマト運輸メール便で送って』と書いておいてくれれば、送料200円でお届けできます。本代+送料=1220円です。読まれてない方はよかったら買ってくださいね。読んで損することはないと思います。尊するかもしれませんが。 |