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*   VISION TO THE FUTURE 4 *



VISION TO THE FUTURE 4

〜LaPLAYHM an filf〜

スィポンエヴァ・ヴェイン体験談集の製作にあたり
秋吉   スィエポンとヴェインの体験談集が今必要かと思うので、翔太さんも何か書 いて下さいよ
只野   ウン。確かに今必要だよね。でも、僕にはもう完成したら(スィエポンの発売) もう設置するしかないって感じで、待ち遠しかった。やっと完成した!早くほしいなって気持でいっぱいだった事を覚えているよ。
秋吉  確か96年の11月頃でしたよね。
只野  そう、FUNAIオープンワールドでサンプルと言うか、カタログの写真に使われているあの溶接の痕がすごかった(?)。
秋吉  僕も船井オープンワールドで見ましたよ。
只野   なんとも言えない感激と言うか、嬉しい気持になりました。 だから、もう早くおかせて頂きたいそんな気持しかな かったですよね。も うすぐに予約入れました。ちなみに僕のはNo.000017です。
秋吉  翔太さん、そろそろ何か体験談にいきましょう。
只野   あっそうか。でも僕、具体的なのってあまり無いんだよね。
 以前、葉山の近くに住すんでいた時の話しで、実際には僕は見てないんだけれど、イルカの群れが肉眼で見えたらしいですよ。御蔵島や、小笠原諸島ならともかく、本州の海岸でそんな事ってあるのかな?

秋吉  以前、翔太さん海のすごい近くに住んでましたよね
只野   海岸500mくらい先までなら見えるかもしれないね、肉眼でも。秋吉君は 何で設置したの?
秋吉  ちょうどその頃、第一生命を退社してフラフラしている頃、翔太さんに言われて買ったんですよ。
只野   そうだ、ついついスィエポンの事を話しちゃたんだのよね。
秋吉  あの頃は本当に、本当にきつかった。
只野   俺、知らなかったんだよ。プータロウだった事。じゃんじゃんカードで買い物しているし、そんな人がプーなんて普通思えないだろう。 でも、秋吉君のから「俺働いてないし、どうしよう」って聞いた時は、やばい、
なんて奴に勧めちゃたんだろうと後悔したよ。
秋吉  でもそれからいろいろな縁が出来てこうしています。意味があったんですね。
只野   そうか。じゃあ俺のおかげで、今の秋吉君があるんだねな。
秋吉  翔太さん、そんなこと言っていると、また大変なメッセージ食らいますよ。
只野  そうだな、こういう慢心が、若林さんをはじめ、みんなパターン化しているのが、このグループの傾向かな…ヴェインに関してはよく子供たちは舐めるよね。友達の子供にかじられた。 きっと子供からみるとかわいいものに感じるんだろうね。
秋吉  よく、公二(白井)さんがお話の中でいっていますね。ヴェインの試作で出来たものを、何も言わずに人に渡すと、みんなにんまりと言うか、小さい動物をかわいいと感じるような反応をしていた。と。
只野 

 きっと効果効能を期待して買うものとは違うよね。たくさんの人が購入する決心を見てきたけれど、どうしても最初は、金額が気になってしまうようですが、色々話していると、みんなもう決心しているんですよ。でも顕在意識で見返りと言うか、効果を期待している。それを確認したいようです。
ですから、その事をお話すると、99%の方は購入されていました。
 特に僕の場合、人の話しを聞かないのでいつもこの事を話させてもらいました。逆にこういう体験を聞いたから、こんな効果があるから買うって言うのはかわいそうだと思います。スィエポンや、ヴェインがね。

秋吉  セリフが長すぎたので少し遮りますが、翔太さんはこの文化を理解していな いからそう言い切ってしまいますが、現代の文化では、難しいんですよ。本質のみですと。
只野   まあ、だから創意工夫がとても大事なんだね。 理由付けして確証をとる、そうしない信用が無いらしい。寂れた世の中だ。 でももうたくさんの体験談が、集まったみたいだね。良かった、良かった。後がんばって編集だね、頼むよ。
秋吉  一番最後に出してかってな事ばかり言ってくんだから…。また、今夜も徹夜になりそう…
只野   きっといい事あるよ。そのうちに…。
秋吉  もう、翔太さん手伝って下さいよー。


好き嫌い

 こだわりはない方がいいらしいのですが、好き嫌いはたくさんあります。
子供の頃は、肉、魚、ナス、ピーマン、セロリ、ウドが食べられませんでした。現在も肉はやはり食べられません。ウドも好きじゃないです。

 子供の頃に困ったのは、学校給食のオカズに肉が多い事。口に入れた時のグジャ〜と広がる気持ち悪さがたまりませんでした。
 そして、おすし屋に行くとカッパ巻、カンピョウ、えび、納豆しか食べられませんでした。(後にいくらは食べられるようになりました。)
 入院した時は最悪で食べられるモノが無い時は、ご飯にお醤油をかけて食べていました。しかし先生に「お肉やお魚を食べないと、治らないよ」と言われて、何とか魚は食べられるようになりました。

 品川プリンスにいた時は付き合いで肉も食べていたのですが、正直に「おいしい」と思って食べた事はないのでした。今もほとんど食べません。
 よく「身体に悪いから食べない」という人もいるかと思いますが、私は子供の頃から食べたくないから食べないのです。(威張る事じゃありませんよね。)

 今思えば、それぞれの国にあった食事があり、日本人にはやっぱり和食が合うのかなと思いました。本当はその土地で育った食物を食べるのが良いそうです。

 この原稿を作成している頃、雪印の事件がありました。
 これは、あくまでも私な解釈なのですが、日本人は長い歴史の中で、肉や乳製品をあまり摂っていませんでした。
 ここ数十年の間に食生活が変わり、その結果大腸がんや、糖尿病などの今まで日本にない病気が増えてきたのではないでしょうか?そうした現象を教えてくれたのが、雪印さんの事件ではなかったのでしょうか。

 育ってきた環境が違うから〜好き嫌いはイーナメーナイ〜♪
 夏がだめだったり〜セロリ好きだったりするのね〜♪(byスマップ)


心を燃やすあいつ

 小学生の時…苦難(?)の時を乗り越えて、東邦医大病院を退院し、とりあえず「喉もと過ぎれば…」と言いますが体のことや、人間って何だろう?という事に以前より益々興味を持つようになりました。

 そして私は一人の教師に出会いました。彼は桜岡中学の理科の教師。春なのに草木は枯れたまま。地殻の変動と異変を感じ、独自に調査していた。そこで同じ様に地球の異変を感じていた大山と名乗る男と会うのでした。大和猛は自分の直観を確信するのでした。
 自分のクラスのホームルームの時間に自分のポリシーを語った。 「一所懸命。ひとつの所に命を懸ける。…これが出来なければ一生、命を懸けることなんて出来ない。」…“一所懸命の継続 = 一生懸命゛。
 この彼のスタンスに小学生だった私は、「こんな大人にだったらなりたい」と思いました。学校の先生になるのも楽しいかなと思いました。

心を燃やすあいつ♪
満田 かづほ 作詞 冬木 透 作曲 ぬまた こうじ 歌

熱い心の 燃える炎(ひ)が 瞳に映って 輝いた
自分が走る 道を翔(か)け 空に向かって 呼んでいる
遠い星から 来た あいつ 今は青い この星で
愛する小さな 友のため 心を燃やす ああ あいつ

胸の鼓動の 高鳴りが 唇つたわり 歌になる
自分で書いた 愛の歌 空に向かって 唄ってる
遠い星から 来た あいつ 今は青い この星で
愛しい想いの ひとのため 心を燃やす ああ あいつ

今は青い この星で 平和を愛する 皆のため
心を燃やす ああ あいつ

 こんな大人・先生がいたらいいな。と思いました。
 彼のもうひとつの側面はウルトラマン80(エイティ)。M78星雲のウルトラの星より遣わされた光の巨人なのでした。(こういうオチを用意しておきました。)
 しかし、「今は青いこの星で 愛する小さな友のため 心を燃やす〜」本当にこんな人がいたら、いいなと思いました。


「I」が欠けていた…

 あるお話会に来てくれた人にVISON TO THE FUTERE」の冊子を渡した時に、自分でタイトルの誤字を発見し、「間違えちゃいました〜」とか言いながら…、その時気づいたのですが…。

 前回(VISION TO THE FUTUER)のタイトルの「VISION〜」の二つ目の「I」…「S」と「O」の間の「I」が入っていなかったのです。先行の150部は「VISON」と表記されていました。
 次に印刷した際は「VISION TO THE FUTUER ver.1.2」として細部の変更と共にタイトルを修正しました。

 しかし自分への確認とこのことを忘れないためにパソコン内の表示は以前のままにしています。
 「I」なのです…。「愛」。ひとつめの「I」はあるのに、ふたつめの「I」がない…。愛が全く無いわけではなく(自分で言うのもなんだけど…)、愛が欠如しているのかなァ…。

 確かに人に厳しく(自分に甘く?)。特に気づいた人…。年上の人にはかなりきついかもしれない。
 それは良くもあり、時には不調和を招きますよね…。


木を植えた男

 これは本当にあった話しか、御伽噺かわかりません。ヨーロッパのある土地で黙々と木を植え続けた男の人のお話です。
 老人と言われる少し前の人だろうか、妻と子供に先立たれてたった一人で暮らしている。牧場でヤギを飼いながら、日々どんぐりを丹念に植え続ける。来る日も来る日も…。
 この土地の住人たちは荒んでいた。水も無く、大地は干からび、国と国は戦争をしている。安らぎの「や」の字も無いくらい。
 蒔いたドングリのうち芽が出るのはどのくらいなのか…。芽が出ても野鳥に食べられてしまうものもある。まるで気の遠くなるような作業だ。
 それでも彼は毎日毎日、どんぐりを吟味して翌日山の地肌がむき出しになっているところを堀り、丹念に植え続ける。

 どうしてそんな事が出来るのだろう?
 何の為に?
 誰の為に?

 僕達もきっと誰かに守られている。
 このどんぐりのように…。きっと。

 この物語は、ハッピーエンドで、彼が亡くなる時安らかで充ちたりた微笑を浮かべていた。
 木々が育ち、森となり、森は地面に水を含ませ、泉が湧き川が流れる。そして人々が移り住むようになった。
 新しい命。子供たちが生まれ、その土地で育ち、家族たちは笑う。喜びに溢れた光景。誰も“ここ”がかつては荒れ果てた大地だった事は知らない。
でもそれはどちらでもいい。

あすなろ書房 1600円


EVHAってなに?

EVHA

すべての存在物が「自然の法則」に適い
調和のとれた方向へエネルギーを分かち合い
その星の文化がより調和のとれた状態に
変換出来るよう実現するための判断力と
決断力、実行力を伴った顕在意識のこと。

 よく「愛・調和・感謝・学び」とか言葉で使われていますけれど、「その星の文化がより調和のとれた状態に変換出来るよう実現する」ってとてもなまやさしいことじゃなくて、頑張る必要は無くても、「一生懸命やる事」かなと思います。

 そして「〜ための判断力と決断力、実行力を伴った顕在意識」って言いますと、「本当はこうするのが良いけれど、やっぱり家族が、会社がああ言うし、そんなの無理」と迷ったり悩んだりして結果的に何もしないでいる事は自然の仕組みに適った判断や決断や実行をしている事にはならないかと思います。

 もちろん私も迷う事や、至ら無い事の方が多いのですがそんな時に判断の基準にするのが、自分がしようとしていることは「自分だけが、自分の家族だけが、自分の会社だけが、自分の国だけがよければ、人間だけがよければいい事か?」 それとも「その枠を越えてきっと何か、この地球の文化がより調和のとれた状態に変換出来る(大袈裟かな)よう実現ような…自分がさせて頂ける小さな事かな」という簡単な自分でのチェックは誰でも出来るのでは…と思います。(私の場合、思い込みの事がかなり多いかと思いますが…)

 やって見なければ判りません。もし違ちゃった時は、「ごめんなさい」でいいじゃないですか。(…自分の事を弁護しているようですね)
 あれこれ悩んでいるのより、「本当はこうだね」と思うことをやってみましょう。人生その積み重ねでしかありませんし…。
 私なんか失敗ばかりですから…。


THE BIGINING OF TERRA

 98年3月のある日、秋吉正夫さんからお電話いただきました。
 とてもまどろっこしい内容でした。
 そのまどろっこしさにイライラして、秋吉君に『単刀直入に簡潔に言ってくれ』と伝えると『テラをやりませんか?』と言われました。
 『それ以外のことならばいいけれど、テラのことでは二度と電話しないでくれ!』ガチャンと受話器を降ろす。
 彼には大変申し訳ないことをした、と今なら思えます。

 これまでの私が持っていた、アオバさんのイメージは『うさんくさいネズミ講』。未来さんや、トベさんが、せっかく素晴らしい製品を持っているのに、何でその流通をするアオバさんは、ネズミ講なんだ!と…。
 私も、多くの日本人が気づいてないのと同じ様にネットワークビジネスが嫌いでした。
 と言うより、ネットワークビジネスがどのような物か判りませんでした。それゆえに『うさんくさいネズミ講』と勝手に解釈していました。
 人は自分でわからないものや、わからないことには、嫌いと反応することようです。

 私個人は『スィエポンエヴァや味来食器はほとんど持っているし、自分はわざわざテラの会員になる必要がない。』と思っていました。
 まったく自分本意の考え方でした。反省します。スィエポンエヴァを置く事で役割をやっていると、何か勘違いしていました。

 『横浜の方面でyoyoのようなお店を出したい。』と考えていたのでしたが、現実面そのような場所を維持・管理・運営していくことの厳しさを客観的に感じておりました。

 スピリチアル系のお店が92年から95年頃には数多くありましたが、今は激減しているのは確かです。そんな状況の中、物件を持つことは私には無理でした。

 その頃松竹映画【ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ光の星の戦士たち】が公開され(試写会で見たのですが涙が止まらなかった)を数人で見に行く事になった。
 そのメンバーからの提案で「より多くの人に」という事で、若林さん、株式会社エヴァの但野夫妻、秋吉君ほか9人で行きました。
 映画の後、午後にエヴァネットワーク大田のミーティングが行われていたので参加させていただきました。

 自分がとてもブルーな時に電話が入り、若林さんと食事をする約束をしました。待ち合わせてみると、秋吉君も居るではないですか…。
 若林さんは、『私が何をしたいのか』を聞いていました。僕は前出の様に『お店をやりたい』事を話すと、若林さんは『でも翔太さん、今すぐ出来ることからやるしかないよね―』 といつもの口調で言いました。
 それと同時にアオバのネットワークシステムを教えてくれました。
 アオバのシステムを冷静に考えてみるとまったく悪いところがない。非常に調和がとれているシステムだ。ということが私のつたない顕在意識でもわかりました。


VISION TO THE FUTURE

皆さんはご自分の10年後20年後のことは考えたことありますか?
どんな〔未来〕を作り出したいでしょうか?
家族は?
友人たちは?
仕事は?
どんな生活を送っていますか?
あなたの家はどんな空間になっていますか?
植物と共生していますか?
動物達はどうでしょうか?

そのあなたの未来は待っていて来るのでしょうか?
人に準備してもらえる事でしょうか?
もしあなたが家を建てるとして、
何もしないである日、理想の家が完成していますか?
優秀な建築家がいたとしても、
あなたのヴィジョンがなければ設計をすることはできません。

あなたの会社はどんな会社でしょうか?
あなたは何のために仕事をしていますか?
あなたの会社は会社の理念どおりの経営ですか?
あなたの会社は社会に役立っていますか?

あなたの町はどんな町ですか?
住民は活き活きしていますか?
子ども達やお年寄りに対する優しさを観じますか?
工場から出る廃棄物は自然を破壊していませんか?
子ども達が安心して遊べる環境ですか?


あなたの国はどんな国ですか?
国民は幸せですか?
政治家はより肯定的な方向へリーダーシップを発揮していますか?
国民は自分のヴィジョンを持っていますか?
この国は世界中の国をリードしていますか?

第2次世界大戦後、良くも悪くもこの国は企業が
引っ張って来たといえるでしょう。
しかし現象ではなく、どういうヴィジョンで
クリエーションしたかが大切です。

自分だけが
自分の家族だけが
自分の会社だけが
自分の国だけがよければ
という想いで今までは行なわれてきました。

過去があるから今があり
今があるから未来があります。
これから私達が真剣に取り組むことは
どんな未来を創るかというヴィジョンです。

そしてそれを実現させるのは
気づいているあなた自身です。
何故ならば、
気づいた人が現実化出来るからです。
子供が安心して育つような社会にしたい。


誰かが多くお金を持つと、
誰かが少なくなっています。
これは物理的に仕方がありません。
しかし問題はこれじゃないのです。

エゴや欲の方向にお金やエネルギーが
集まっていることが問題です。
本来はそのエネルギーを
調和のとれた方向に使えるのです。
現在はエゴと欲望を拡大していく方向にあるようです。

あきらめる必要はありません。
工夫をして根気強くサポ−トさせて頂く…
それしか無いようです。

お手伝い出来る事は何でもしたいと思っています。
あなたなりの方法で今の文化に合わせた方法で…。
自分達が生きている時代に実現できなくても、
その子供たちや、
そのまた子供たちの世代に繋げていきたい。

時間がかかってもいいじゃないですか。
緑ゆたかでやすらぎに満ちた地球にしていく
勇気と初めの一歩を待っています。


あとがき

 

 最初は20ページくらい(紙面でしたので)の予定で、子供の頃から思ってきたことや体験を書き上げようとしていたのですが、どうしても外せないことが、たくさんトピックとして浮かんできたので、ページを増やさないわけにはいかなかったのです。私も書いていて楽しめました。
 
 たぐい稀なる出会いを頂いて、貴重な体験をさせて頂きました。その中に、皆さんにどこかに必要なことがあれば、いいなと想います。
 正直言いまして、私の主義・主張たくさんあるかと思います。そして、ついつい調子にのり、乱れた文章もあるかとは思いますが、何とぞお許しください。

 今までの通信販売と冊子製作以外に、ハーモニーライフの方では新しい分野にトライしていきます。

@ ハーモニー研究会ITサポート事業部 
   HP作成などを承ります。ご相談ください。
A 農業研究部 
   こちらは来年春をスタート目標です。無農薬…というより植物との調和した関わり方、調和のとれた農を実践研究していきます。農業をやってみたい方を募集いたします。お問い合わせ下さい。

 最終的には自給できるコミュニティーが出来たら楽しいのではないかと思っています。
 出来るところから少しずつお伝えしていければと思いますが、ニュースレターやホームページを通して新しい情報を発振していきたいと思っています。皆様よろしくお願いします。
最後まで、読んでいただきまして、ありがとうございました。

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只野翔太プロフィール

1968年6月28日 午後5時35分に東京・大田区に生まれる。
1975年 六郷小学校に入学。ニックネームは『にゃんこ』
1977年 小学三年生の春休みに六郷図書館で子供向けの環境問題 の本を読み、このままエゴをベースにした文化が続くと、環境が破壊されて地球に人が住めなくなる事を知る。みんなでタイムマシンを作るためにガラクタを集める。
1978年 四年生の時に交通事故に遭い、約半年間の入院生活をする。
1981年 南六郷中学校に入学。
1984 年 大森東高校に入学。85年5月に自ら退学
1987年 西洋占星学(星占い)を独学で習得。
本当に自分の信念(ロイヤリティー)とライフワークとしての自覚を持てる仕事をしたいと思うようになる。
1991年 代官山yoyoと翔卯で働き始める。
愛洋子さん、足立幸子さん、足立育朗さんとの出会い。
1997年 yoyoを退社。自身でできる事を模索。
1998年 6月に有機野菜宅配会社を退社し、個人での販売を開始。
1999年 8月に秋吉正夫さんと一緒に四国から東京を縦断。
2000年『誰でも出来る自然な食事と暮らし』を1000部作成
ハーモニーライフを設立
2001年『誰でも出来る電磁波と上手に付き合う方法』2500部印刷
     『続・現代地球文化とその未来』業者にて1000部印刷
2002年  通信販売業務を充実化 アネモネ誌などに広告を掲載開始
2003年  福島県喜多方市への移転。ホームページ開設。
IT部門を発足。2004年に向けて農研究部の設立準備


 

エヴァネットワーク大田 
 若林明彦さん、神戸清隆さん、山本訓之・るり子夫妻、但野大輔さんらを中心とした、自然のしくみを学ぶ会。96年から98年にかけて活動していた。『主催者(責任者)以外の人は全然エゴが変わっていません』(要するにただ“勉強“しているだけでは何もかわらない)と言われ、若林さんはショックを受け、本質的の『学び』を模索始める。 

 

 

参考文献・資料  
 
『木を植えた男』
あすなろ書房
『アミ 小さな宇宙人』
徳間書店
『戻ってきたアミ』
徳間書店
『アミ 3度めのの約束』
徳間書店
『VISION TO THE FUTUER』 FALF&ARUT LaPLAYHM
『ウルトラマンコスモスソングコレクション』  
著者
只野 翔太
企画・発行
FALF&ARUT LaPLAYHM
 


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〒329-2161栃木県矢板市扇町二丁目1519-53
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